壁の罅《ひび》からもペンペン草が頸を出す。同じ草が傾いた屋根の上では頭をふり、庭も亦一面にペンペン草の波なんだ。
 一体俺達の酒倉はこれでもれつき[#「れつき」に傍点]とした造り酒屋なんだけど、何分ここの亭主は自分の酒を自分一人であらかた呑みほしてしまふものだから、長い年月には母屋を呑み庭の立木を呑み(客ではない、無論亭主自身が呑んだんだ)、今では彼の寝室でありやがては棺桶であるところの破れほうけた酒倉がただ一つ残つてゐるばかりだ。だから君、夏がきてペンペン草が酒倉の白壁の半分を包み隠してしまふとき、俺は呆然として無から有の出た奇蹟をば信ずるに至るのだけれど――君が見かけ程詩人なら、疑ふべき筋合ではないのぢやよ。といつたわけで、ペンペン草は生え放第に庭も道も一様に塗りつぶすものだから、俺は酒倉への出入にペンペン草に捲き込まれてとんだ苦労をしてしまふのだ。足をからむとか蛇をふみつけるとかしてわあつ! と及腰《およびごし》になりかかると、鼻孔にまぎれ込む奴もペンペン草であるし懐にガサガサとなる奴も――ああ何処をどうして潜り込んだのか背中で何か騒ぐ物があるのもみんなこのペンペン草なんだ。俺はううんと呻えたまま天高く両腕をつきあげて進退ここに谷《きわ》まつたといふ印をしてしまふのだ。すると真夏の太陽がカアンといふあの変テコな沈黙でいやといふほど俺の頭を叩きのめすものだから、俺は危く目をまはさうとするのぢやよ。おお光よ、おお緑よ、おおペンペン草よ、怖るべき力よ、俺の若き生命よ。余は緑なすペンペン草の如く太陽のあるところへ一目散に駈けてゆかねばならぬ。ああ酒は憎むべき灰色ぢやよ、と俺は思ふのだ。
 ――酒は頑としてサヨナラぢやよ。
 と、そこで俺は憤然として酒倉を脱走するのだ。「ああ太陽よ」とか「おお生命よ」とか、まあそいつたことを喚きながら、俺は何分あまりにも興奮して酒倉を走り出るものだから、つい亦ペンペン草に足をとられて大概は四ん這ひになり畢り、酒は実に灰色ぢやよ、俺は頑としてそれを好まんよなどと叫びながら這ひ出してゆくのだつた。
 すると酒倉の亭主は――先刻御承知の瑜伽行者だが――ペンペン草の間から垣間見える俺の尻を見送りながら「木枯が吹いたら又おいでよ」と、ニタニタと笑ふのだ、「木枯が吹いたら又おいでよ」と、ね。
 まことに木枯と酒と俺は因果な三角関係を持つものである―
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