ば、亭主平作か、妹のお直だ。杉代とお直は子供の時から気の合った仲で、その為に平作にたのみお直の子の能文に学資を与えて三百代言に仕立てさせて、自分の娘と夫婦にしたほどだ。同じように平作の娘の一人と一しょになり、同じように学資をだしてもらって三百代言に仕立てられた人見角造だが、これは出入りの貧乏トビの子。人間を血のツナガリで区別する平作の目にはムコになっても他人は他人。妹ムコの小栗能文にくらべると、姉ムコの人見角造が万事につけて割がわるく、他人なみに扱われているのだな。あの鬼のウチでは他人の距てはどうにもならん。オレがどんなに忠義な番頭でも、他人は他人だ。そういうウチだぜ。その家風は連れ添う女房杉代にもしみついている。血のツナガリの深く温くない者に後事を託す筈はない。たとえば兄の根木屋長助がカタギの商人で、世間では信用のある世話好きであるにしても、亭主の平作の目から見て他人の方に近ければ、杉代の目にもそれが乗り移っていよう。お直なら特に自分と仲もよし、能文がムコとあってカスガイ役もしているから、秘密の後事を託すとすれば、亭主のほかに親類ではまずお直ひとりだな。オレの目の睨んだところではそうだ。どうだな。三円の見料はいよいよ安かろう。加十のことを訊きだすならお直のところだが、それをお直に訊いたところで、加十の身持がよくなって勘当が許されるワケはないから、まアよしときなよ。だんだんお前さんに運が向いてるらしいのは人相にも出ているから、ジッと証文を握って辛抱してるがいいや」
だが天心堂は三円の見料の手前があってか、易を立てて見てくれて、
「尋ね人は西に居るが、だいぶ東京から離れているようだ。わりに身持もよく、身体も達者だ。そこにも運気がうごいているから、近々めでたく行くだろう。安心するがよい」
易の卦をオマケにもらって、楠はイトマをつげる。
そうだ。タケノコメシの顔ぶれに直接当るなら女だ、お直からだと考えた。
★
お直は後家だった。亭主が死んだのは十五年も昔のことで、杉代の助力もあったが、女手一ツで四人の子供を育てた。子供が大きくなって、どうやら今では楽になったが、その日の食物にも困るような苦しい暮しが長くつづいたのである。
楠は自分の身分を天心堂に語ったのと同じウソでお直に自己紹介。勘当中の加十の動勢をその実家へ問い合せに行くわけにいかないからと言い訳をのべると、苦労にやつれた後家の人の好さ。
「今まで良くまア催促もせず黙っていて下さいましたね。御親切に加十さんをかばって、勘当の許されるのを待っていて下さる気持は本当にありがとうござんすよ。ですが、残念ながら、私も居所を知りません」
「易者の天心堂さんの話では、こちらだけがそれを御存知だとのことでしたが」
「あの男が才川さんに働いていたころまでは私も加十さんの居所を知っていたんですよ。実はね。杉代姉さん存命中は、姉さんと加十さんの通信は私のところが中継所だったんです。姉さんの依頼で加十さんの様子を見に行ったことも七八回はあります。ところが姉さんがなくなる際にこれを旦那に打ちあけたものですから、旦那はひそかに私をよんで、お前はもう加十のことは忘れなさい、あとは私がするから、という静かだが厳しいお達しですよ。さア旦那からのお達しとあっては私は一言半句もない。かしこまりました、と平伏して、お言葉通り以後は忘れたフリをしていないわけに行きませんよ。加十さんへもお達しがあったと見えて、加十さんからの音信もバッタリ絶えた。姉さんが乏しいヘソクリを苦面して仕送りしていたのが、今はどうなっていることやら。いっぺん様子を見てこなければ姉さんにもすまないと思って、心をきめて出かけたことがあるんですよ。すると、どうですか。今までの居所には加十さん夫婦の姿はなく、赤の他人が住まっていて、前住者の行方なんぞ知りませんと云うのです」
「すると加十さんは結婚なさってるんですね」
「しまった。ウッカリ口をすべらしちゃったが、仕方がないなア。そうなんですよ。姉さんがなくなる半年ぐらい前ですけど、加十さんからお母さんにその許しを乞う話があって、実は私が姉さんにたのまれて、三四へんも往復してヨメさんに会って人柄を検査鑑定したりしてねえ。これは大役ですよ。ですが私もイノチをこめてやりました。貧乏なウチの娘でしたが、立派なヨメでしたよ。これならばと私がイノチにかけて保証して、そこで姉さんから一ツ条件が有ってこの話がきまりました。それはヨメさんに昔の身分姓名を絶対に打ちあけるな、という一条です。これには深いシサイがあって、今ではもう十二年前ですが勘当に際して旦那が堅く申し渡されたことには、親子の縁を切ればお前はここの息子ではないから、今迄の姓名を名乗ってはならぬし、今はこの世になくなった昔の身分を人に語ってもならぬ。それが勘当というものだ。これを破れば、キサマは詐欺漢だと仰有《おっしゃ》った。あの旦那は自分のお達しを守らぬ者には心を許さない人ですから、私たちも旦那のお達しといえば、怖れおののいて真剣にまもるんですよ。加十さんの場合にしても、いつか勘当が許されるとすれば、旦那のお達しだけは厳しくまもられていての上でなければなりません。ですから結婚はともかくとして、お達しの完全な励行が第一ですよ。むしろ身を堅めることは、放蕩で勘当された加十さんには大切な意味ある事ですからね。こんなわけで、私も力になってあげて、加十さんは結婚したんです。が、それからのことは、ただ今お話いたしたテンマツのように、旦那自らのハカライでしょうが、私の目から消え失せて分らなくなってしまったのです。旦那が加十さんにどうやってあげていらッしゃるか、それは私ばかりでなく、誰にも見当がつきません」
「以前の居所は?」
「今となってはよろしいようですが、旦那のお達しの範囲にふれると困りますから申されません」
「新しい姓名だけでも教えていただけませんか」
「お気の毒ですがダメですよ」
「あなたの御迷惑にならぬように私の努力だけでなんとか加十さんにお目にかかる方法を見つけたいと思いますが、せめて何かの特徴の暗示ぐらいはもらしていただけませんか」
「なんとかしてあげたいと思いますが、どうもねえ。特徴といえば一ツあるんですが、それも言わないことにしましょう。勘当の後日にできた特徴で、知ってるのは私だけですがね。悪く思わないで下さいよ。ふとしたお喋りがモトで、旦那のお叱りをうけることが起ると大変だ。もしも、またそのため加十さんの勘当の許しがでないとなったら、それこそ一大事ではありませんか」
「勘当が許される見込みがあるんですか」
「旦那の胸のうちは誰にも分りませんが、これもウチワの秘密ですけど、もう世間に噂もでていることですから申上げますが、加十さんの弟の石松さんがこのところ身持がわるくて、ひょッとすると、これも勘当じゃないかなんてね。その場合には、今の身持によっては加十さんの勘当が許されるかも知れないなんて、いえ、これは旦那の気持がそうだとは誰に分る筈もないんですが、世間の者が旦那の気持までこしらえあげて勝手に噂している次第なんですよ。世間と申しても、まア私たちの身辺だけのことでしょうがね。噂のようなら加十さんには幸福ですが、全然見込みがないことでもなさそうですね」
「御子息の能文さんと仰有る方が才川の娘さんと結婚して秘書をつとめていらッしゃるそうですが、その能文さんから確かな話が伝わりやしませんか」
「いえ、能文は口の堅い男で。また、能文に限らず、旦那のお達しがあれば、私たちみんな口が堅いですよ。さもなければ私たちがお払い箱ですから。世間では鬼のように言いますが、私たちには情深いよい旦那ですよ。その代りお達しにそむくと怖しい」
このワケが分ってみれば、この先どんなに頼んでも堅い口を開かせる見込みがないことは一目リョウゼンだ。ニセの自己紹介のおかげでタケノコメシの一件をさぐる手がかりは失ったが、それはこの口の堅い連中に当ってムダをくりかえすよりも、むしろ他に求めるべきだろう。
「なんとかして加十さんに会いたいなア。いっそ才川さんでボクを下男にでも使ってくださらないかなア」
冗談にこう云うと、
「才川家には女中二人だけで下男ナシ。あの大きな屋敷に女中二人ッきり。そして、それ以上は人を使いやしませんよ」
これをきいて楠は呆れた。そして心がときめいた。あの大きな屋敷で女中二人だけとは。すると白昼の邸内でも深夜の公園よりも人目が少いようなものだから、白昼でも邸内でいろいろのことが行われうるであろう。人殺しもできるし、それをバラバラにすることもできよう。
「御一族では、そのほかに、最近どなたか行方不明はありませんか」
「そんなにチョク/\行方不明が現れるものですか。私たちをなんと思っているんです。みんな心が正しくて、また才川家の者も、根木屋の者も、代々長命の一族ですよ」
お直が腹を立てたから、楠はヒヤリとして、そこでイトマをつげた。ひと目でいいから才川の邸内が見たいものだ。女中の一人とでも話を交したいものだ。こう考えふけッたが、やがて一ツの計略に、気がついて次第に彼の顔は明るくほころびた。
★
楠は親ゆずりの多少の財産があったを幸い、なにがしかの金を握って目黒の里へ急行し、百姓にたのんで土の中の小さなタケノコを一貫目ほど掘りだしてもらった。それを買ってザルに入れて持ち帰り、次には知り合いの百姓から野良着を借《か》してもらい、ホンモノの百姓そッくりに変装し古ワラジをはいて適当にホコリをかぶり、タケノコのザルを背負って、六日目の十一時ごろを見はからって、寺島の才川家の勝手口をくぐった。
「ウチの買いつけの八百屋と行商の百姓はきまった人がいるからダメですよ」
と年増の女中が顔をだして云ったが、
「オレは並の行商の百姓とは違う者だね。目黒の奥のタケノコ百姓だ。実は毎年の寒のうちに向島の魚銀という料理屋がオレのところへタケノコを買いにきてくれるが、今日は手ブラで東京へでる用があったから、背中が軽いのはモッタイないと思って、ついでに魚銀にタケノコでも買ってもらうべいと気がついたね。朝の暗いうちに目黒をでて、道を急いで用をすまして魚銀を訪ねてみると、寒のタケノコを買ってくれるのは才川というウチだから、そこへ行って買ってもらえ。そこがいらないと云えば、ほかに買う当はないから諦めろとの話だ。すまねえが買ってくれ」
「アレ。変ったのが来た。チョイト! お金ちゃん。出てきてごらんよ。変テコな百姓が目黒の奥からでできたから」
こう云って若い女中をよんで、二人になると女たちは気が強くなり、珍しがって、からかいはじめた。計略図に当ったと楠は心中の喜びを隠しつつ、
「ここのほかには東京中に寒のタケノコを買ってくれる当がないてえから、持って帰るのも業バラだなア。次第によってはタダの隣ぐらいの値にまけてもかまうこたアねえが、すまねえが弁当を使うから、お茶くれねえか。四時起きして目黒をでてきたから腹がへって目がまわる。お茶代にこれやろう」
とタケノコ一握りつかんで女中の前カケの中へ落してやる。二人の女中は感激して、
「お前さん気前がいいねえ。百姓させておくのはモッタイない人だよ。寒のタケノコてえ高価なものをサイバイしている百姓は違うよ。それにしちゃアお前さんの着物はやに汚いねえ」
「これはフダン着だ。どうせお前たちも百姓の娘だろうが、惚れるなら目黒のタケノコ百姓に限らアな。タケノコはモミガラをまいてコヌカで育てる。人間の糞みたいな臭いものをコチトラは使うことがねえや」
大きなお握りをほおばり、女中がつくってくれた土ビンのお茶をすすりつつ、巧みに本題へ運んでいった。
「このウチじゃア寒のタケノコをどうやって食ってるね」
「私達がタケノコ料理を作るんじゃないし、まだお下りを食べた事もないから、よく知らないけど、タケノコメシと煮ツケらしいね」
「まアそんなもんだなア。じゃアお前たちは食ったことがねえのか。毎年オレのタケノコを買ってなが
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