から訊きだすことができたことは、加十の上京後、その帰りをまる二ヶ月の間待ちくらしたのち、ついに不安を抑えきれずに表向き禁制と知りつつも才川家へ問い合わせの手紙をだしたのに返書があって、勘当中の加十が当家に居る筈はないというアッサリした文面でしたという。また、ついにたまりかねて上京して才川家を訪ねてみると、応待にでて、返書と同じように勘当中の加十は当家に居るべき道理がないとアッサリした言葉を与えて追い返したのは小栗能文でしたという。この返答は異様ですね。なぜなら、表向き勘当ながら内容が次第にそうでないことを能文は心得ている筈だからです。まず何よりも、加十の行方不明に対して親身のものにせよ事務的なものにせよ心配を一ツも見せないことが、この男の身分としては更に異様ですね。私が石松の折ヅメを貰った婦人に期待した返答も、これと同じことを裏附ける事実、つまり放蕩者の石松がだらだら酒をのんだり泊ったりで、バラバラ作業のヒマがありッこなかったという裏附けだったのでしたが、生憎《あいにく》この婦人はタケノコ料理に興味がない超人でしたから、折ヅメをもらった特定の一日にてんで記憶がなかったのです。加十を殺し、石松が勘当となれば、相続人のオハチが自分に廻ることになり、まさにその事の有り得るチャンスの気配が濃厚でしたから、能文は計画を立てておいて、加十を殺して予定のバラバラ作業を行った。或いは京子も片棒担いでるかも知れませんよ。鬼の子は鬼でフシギはありませんし、人間はもともと鬼になり易いです。京子は十二年前に勘当された加十に兄者人《あにじゃびと》としてのナジミがないから、他人に財産をとられるような怒りや呪いがあったかも知れません。バラバラのコマメな作業がかねての計画としても一人の手に余るようですから」
そして、能文が捕われ、訊問の結果は京子の非常に積極的な共犯が明らかとなった。
「女を甘く見てはいけませんよ。女は心がやさしくて、気が弱くて、ケンカが弱くて常に平和を愛するかよわい動物だなんて、大それた逆説の支持者となってはいけません。それを信用してはタンテイはつとまりませんよ」
と新十郎はあとで顔をあからめて楠にささやいた。
底本:「坂口安吾全集 10」筑摩書房
1998(平成10)年11月20日初版第1刷発行
底本の親本:「小説新潮 第六巻第一〇号」
1952(昭和27)年8月1日発行
初出:「小説新潮 第六巻第一〇号」
1952(昭和27)年8月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:松永正敏
2006年5月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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