うに楽な相手ではないらしい。

          ★

 楠は自分の年齢から考えて、加十の遊び仲間の弟と名のった。遊ぶ金に窮した加十にたのまれて自分の兄が用立てた金が千円の余になってるが、せっかく証文を握りながら加十の勘当、行方不明でこまっている。行方の心当りはないか、というわけ。これは易者向きの用にもかなってるから、
「見料はいかほどで?」
 冗談のつもりだが、ためらって云うと、天心堂は一向にためらわず、
「この見料はチト高いなア。そこを大負けにして三円にしてやろう」
 ベラボーな高いことを云う。楠は内心泣く泣く有金をはたくようにして三円払った。
「オレも鬼の才川平作の手下になって利息の取り立てをやってるうちに、人の人相が読めてきたな。あのころは鬼をあざむき、鬼を泣かせる奴らが多くてこまったな。怖しい奴、ずるい奴、向うところ強敵ばかりでユダンができない。それで敵を知るために必死に人相を読もうという心得が自然にできる。そのオカゲで易者になったが、真剣勝負の心構えで必死に会得した実学だから、オレの人相判断と易の卦はよその易者のヘナヘナの見立てとちがう。思い当って感心したら、またおいで。一々オレの見立てに伺いをたてて世を渡る者は必ず出世するぞ。三円五円の見料はタダのようなものだ」
 兇悪そうな目玉を落附きはらってむいている。ニヤリともしない。
「鬼の平作も血のつながる身内の者には目をかけてやる奴で、馬肉屋の弟又吉、妹のムコ女郎屋の銀八、いずれも平作が身を入れて引き立てたおかげで裕福だ。その代り平作の日ごろの訓戒を裏切ると、親でも子でも親類でもない、敵同士だ消えてなくなれとくる。加十の勘当がそれだな。可愛さあまって憎さ百倍。鬼にはそれが強いのだ。加十は杉代のはからいで京都で坊主になったが、またぐれて寺をとびだしてから行方が分らない。この行方を知っていたのは杉代だけで、どうやって通信していたか知らないが、死ぬ日までヘソクリを苦面して月々送金していたようだ。鬼の平作もこれだけは見て見ぬフリをしていたが、それは鬼の心にも有難い女房よと思う心があったせいだ。なぜかと云えば、平作に深い恨みをもつ者が殺しに来たとき、亭主をかばって杉代が二度もフカデを負うている。このオカゲで鬼自身は一度も傷をしたことがない。こういう有難い女房だから、さすがの鬼めも心底では女房に手を合わせている。杉代
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