考える必要は自分自身のことに限られたときまって、そッちの方が火事だろうと泥棒だろうと無関心という落ちつき方、たった一人、ハマ子というちょッと渋皮のむけて小股のきれあがった小娘の女中が、ニヤニヤと、主家の騒動がタノシミらしく、主人の前をスーと行ったり戻ったり、三人組の捜査隊の勤労の右側と左側を行ったり、戻ったり、なるほど見世物として眺めれば、タダとは云いながら興趣つきない味があろう。
どことなく不潔なような妙に情慾をそそる小娘だ。久五郎は冷い夫婦生活の中に居住してからというもの、なんとなくこの小娘に情慾をそそられていたが、生れつき男の誘いを待つことだけを一生の定めとしているような不潔な色気が、さて自分が破産しておちぶれてみると、不潔で卑しいどころか、自分よりも高貴でミズミズしくて清らかで利口にすら見えるから、改めて心をひかれた。
政子などという男爵令嬢はもうどうでもいいが、この小娘すら自分の手のとどかぬ存在となったのかと考えると、自分の人生は八方フサガリの感きわまるものがある。女房め、男爵め、周信め、妹め、と何を怒ったって始まりやしない。もしも真に何かを始めるとすれば、憎むべき奴らを叩ッ斬るのが総てだくらいは妹の奴めに云われなくッとも決まっている話じゃないか。しかし総てを失った奴が仇を叩き斬ってなんになるものか。
三人組は政子の調度類や分捕品をまとめて荷造りした。そして離婚の書類一式にそれぞれ久五郎に捺印させ、慰藉料として五万円その他の物品を支払うからそれでカンベンしてまけてくれという書類にもハンコを捺させた。むろん久五郎は今さら取り乱さずにハンコを捺した。
「フーム。落着き払っていやがるな。まだまだ相当の大金をどこかに隠してやがるに相違ない。由緒ある小沼男爵家の姫を傷物にして五万のハシタ金ではすまないが。これ。顔をあげろ」
周信は指で久五郎の額を押した。すると横からとびだしてその手をつかんで腹立ちまぎれに振りまわしたのは小花。
「兄さんに指一本ふれたら、私が承知しないわ。由緒ある小沼家とは何のことよ。生れつきの貧乏男爵。乞食男爵。イカサマ男爵。一家総勢力を合わせて人をだまして世渡りするのが先祖代々から伝わってきた家伝のイカサマ根性なのよ。乞食! 泥棒! こう言われて怒れないのか。ヤイ、乞食男爵の倅」
「バカ!」
周信は小花の横ッ面に平手打ちをくらわせた。小花はワッと泣いてとびかかった。しかし、一突きで突きとばされて壁際まで素ッとばされてしまった。
すると、小花の素ッとんだところに小娘が立ってニコニコと見物している姿をようやく人々は発見した。主家の娘が自分の足もとへ素ッとんできてころがったが、この小娘は介抱なんぞする気配はまったくない。あんまり面白そうに眺めている顔だから、
「なんだ、キサマは?」
と周信が睨みつけたが、小娘は平然たるもの。周信の睨みの威力はてんで小娘の上に及びがたいらしく、小娘の珍しそうな笑い顔にはミジンも変化が起らない。政子は憎らしがって、
「ここの女中よ。薄汚い、助平ッたらしい小娘ねえ。あの男はこの小娘に気があるのよ。ちょうど似合っているのよ」
ハマ子は珍しそうに目を上げて、感心したように政子の顔を眺めた。政子はいかにもバカにされたように感じたらしく、
「あっちへ行って! 女中の分際で勝手に茶の間へきて立っているのは失礼よ」
ハマ子はさらに感心したらしく政子に見とれていたが、やがて念仏か呪文でも唱えるように、
「立ってお預けチンチンは乞食男爵だけ」
ニッコリとイヤに色ッぽく笑って、ふりむいて、立ち去った。大横綱と取的の勝負のように、てんで問題にならない。乞食男爵の正体バクロして一族三名小娘に投げとばされたように見えた。
「それ。人足をよんで、荷を運ばせろ」
周信はいまいましげに政子に目くばせして云った。荷車をひいた人足をつれて来ているから、ただちに積み込みがはじまる。周信は積み荷に一々視線をくばりながら、政子に向って、
「オイ。オレのあれはどこへ包んだ? マチガイなくあるだろうな」
「私の着物類と一しょに、この包みの中」
「どれ?」
周信は中を改めていたが顔色が変った。
「ないじゃないか」
「どうして? アラ、ほんと。ないわ」
「たしかにこの中へ入れたのか」
「いいえ、これと一しょにタンスへ入れておいたのよ。その中のものをそッくり一包みにしたから、この中にある筈だと思うんだけど」
「じゃア目で確めてみなかったのか」
「このフロシキをひろげた上へタンスのヒキダシを順にぶちまけただけよ。そしてそのまま包みを造ったんですから、こぼれる筈はなし、有るものと信じていたわ」
「きっとそのタンスか」
「まちがいないわ」
どう探してもそれが見当らないと分ると、周信の顔色の変りよう、一気にして不安におののく野獣のような落着きのない挙動に変った。いっぺん積み込んだものを引きずり下して、全部改めてみたが、更に奥の部屋々々へ走り、政子に指図して、あれを倒し、これをひろげ、ひッくり返したり、まくってみたり、タタミが帳面のようにめくれるものなら、それすらもタンネンにめくりかねないほど気ちがいじみていた。
「畜生め! あれを盗んだのは誰だ。今に思い知らしてやる!」
ついに盗まれたと断定して、家の者全員を一室にカンキンして、家の中を全部しらべたが、どこからも目当ての物は出なかった。いッぺん調べた部屋も安心できないらしく、引返したり、走り去ったり、上を改め下をくぐり、邸内くまなく調べたが、ついになかった。全員の身体検査もムダであった。
「人に盗まれる筈のないものだと思うが、お前の記憶ちがいじゃないか」
こう云われて政子は気色ばみ、あわや兄妹の喧嘩になりかける形勢に、年功の周信、これはマズイと悟ったらしく、にわかに切りあげて、三人組は荷車と一しょに引き上げてしまったのである。
★
久五郎と小花は今はのこされた唯一のもの、芝の寮へ移りすんだ。女中のハマ子だけが、自分の荷物をぶらさげて一しょについてきた。女中はいらないからと小花がことわったが、
「いいわよ。タダで働いてあげるわ。私の食費もだしていいわ。気が変れば、どこかへ行っちゃうから、それまで置いてね」
もう友達同士のような口々きいて、なれなれしいものだ。見たところ十六七の小娘に見えるが、実は二十二、小花よりも二ツも年長なのだ。すでに友達と見たせいか、本当の年齢を打ちあけた。
「二十二だって! お前、奉公のとき十七ッて云ったじゃないの」
「へへ」
「いやらしいウソつきね。じゃア子供を三人ぐらい生んでるのでしょう」
「そうは見えないでしょうねえ」
と落着き払ったものである。小娘だと思っていたときはフテブテしいイヤらしいところが目立って見えたが、本当の齢を知ってみると、それもうなずける。それになんとなく頼もしい感じもするから、総てのものに見放されて孤立してしまったような境遇にハマの存在は力づよく思われもした。兄と妙なことになりそうな不安はあるが、破産した今となっては、あのマヌケのオタンチン野郎に不足の女房ですらもないらしいではないか。
ところが寮へ移ったその晩から、久五郎とハマは誰はばからぬ夫婦生活である。小花は腹にすえかねて、
「なんて悪党なのよ、あんた方は。昨日まで私をだまして何食わぬ顔はどういう意味? 私は他人だというわけなのね」
「そうじゃないよ。オレとハマがこうなったのはだいたいのところ昨日からで……」
久五郎はてれたのかモグモグと言葉をにごした。
「ウソですよ。私だって子供じゃないわ。昨日からの仲でないぐらいは、昨晩の様子で分りますよ」
「それがその以心伝心なんだな。オレが思い、アレが思い、たがいにそれがこゝに移り住んでピッタリ分ったから年来の仲のように打ちとけたのだが」
と久五郎は赤くなって口ごもった。ハマは黙々とニヤついて、悠々たるもの。やがて久五郎はわびしく苦笑して、
「しかし、お前もオレに隠して乞食男爵の倅とできていたじゃないか」
小花はグッと胸にこたえたらしいが、
「兄さんは知っていたの?」
「イヤ。先日、お前と周信が奥の一室で言い争っているのを偶然きいてしまったのだ」
小花はまッかになった。
「こんなふうになるらしい予感もあったし、羞しくッて隠していたのです。あの人にだまされたのは私ばかりじゃないわ。モッと身分の高い人も、その他、大勢いるのよ」
「誰だい? 身分の高い人とは?」
「云っちゃ、いけなくッてよ。あの人がウッカリ私に威張って教えただけの秘事だもの。男ッて、そんなことまで偉そうに言ってきかせたがるのね。でも、羞しいわね。兄さんに聞かれたなんて」
「ナニ、ハマ子もきいていたぜ」
「じゃア、あなた方は隣室でアイビキしていたのね」
「あの最中にアイビキなんぞできるものか。オレがふと気がついたら、猫のように音もなく、ハマ子が傍に立っていたのだ。まア、以心伝心はそのせいかも知れないな」
と久五郎は赤くなって口ごもった。バカのように満悦の態がイヤらしかったから、小花は癪にさわって庭へとびだした。
しかし、この侘び住居も安住の地ではないらしかった。どうやら新しい生活になれそめたころ、乞食男爵の三人組がそろって姿を現して、
「隠し持った品々オタカラの類をそろそろ取りだしたころではないかい。ちょッと探させてもらうから一室へ集まってもらうぜ。先の書附にも慰藉料の一部分として五万円とこれこれの品を受けとったとチャンと書いてある通り、残りの分をもらう権利があるのだから仕方がない。この家屋敷をそッくり貰うこともできらアな」
半日がかりで邸内クマなく探しまわった。店の方から持参の日用品とガラクタの類しか現れないが、身体検査で再び久五郎の懐中から三千円なにがしを発見して、
「隠すより現るるはなし、じゃないか。先日の家捜しの時にはなかった三千円だ。してみれば、まだまだ、あるな」
ジロリと睨んで、三千円を懐中に入れた。彼らは立ち去りかけたが、まだミレンがあるらしく、隣室でごてついて、
「やっぱり、ここにはないのよ」
「じゃア、どこだ?」
「典六。薄々感づいているのは、アレだけよ」
「フム」
周信は考えこんでいるらしかったが、
「典六が最後にチヂミ屋へ行ったのは、いつのことだ」
「いつが最後とは覚えがないけど、ウチの用でチョイ/\来ていたわ」
「チョイ/\行くようなウチの用がありやしないじゃないか」
「フフ。私に用があったのさ。私のプライベートな部屋へ。今だから、申上げますけど、そんなわけよ。それぐらいのイタズラせずに、あんな埃ッぽいウチに住んでられやしないわよ」
「バカ!」
周信の怒気は意外にも噛みつかんばかり真剣だった。
「キサマ、典六に喋ったな」
「いいえ。それだけは信じてちょうだい。典六なんか道具だと思ってるだけだもの」
政子は冷く言い放った。彼らが本当に立ち去ると、小花は溜息をもらした。
「怖しい人たちね。姉さんが坂巻をひきいれてそんなことしていたのを、兄さんは知らなかったの」
「知らぬは亭主ばかり」
憮然と言葉もない久五郎の代りに、ハマ子がつぶやいた。
「じゃア、女中たちは知っていた?」
「ええ、薄々は。本当に見たのは私だけかも知れないけど」
「あんたという人は跫音《あしおと》がないのね。薄気味がわるい!」
「そうかしら」
ハマ子は上を向いてフッフと笑った。小花は見るもの間くもの癪にさわらざるはない無念の思い満ち溢れて、
「ねえ、兄さん。乞食男爵一味が狙ってるように、たしかにナイショでお金を隠しておいてるのね。あの五万円といい、今度の三千円といい、あの人たちの云うように、本当はない筈のお金じゃありませんか。それに、私まで貧乏のマキゾエを食わせておいて、私にナイショのお金を隠しておくなんて、卑怯千万だわ。隠したお金をだしなさいよ。その半分は私に下さるのが当然よ。それを持ってこのウチを出るわ。あなた方のオツキアイは、もうタクサンよ。隠したお金をだしてちょうだい」
「隠したお金なんて、もうな
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