この一ツしか特技がないのだから、力技と分ればあとはナニクソと大石に挑みかかって無我夢中。大地にくいこんだ大石をついに起してしまった。
「そのまま、ちょッと待って」
 女はチョウチンの火を消した。そしてシャガミこんで何をしたか分らないが、やがてまたチョウチンをつけて、
「石を元通りにしてちょうだい。手荒らな音をたてず、静かにね」
 満身の怪力を要する難事業だが、花嵐はこれもやりとげた。
 再び女に手をとられて、あッちへ、こッちへとグルグル歩きまわったあげく、
「この石を背負うのよ。今度は、背負って、ちょッと歩いてちょうだいね」
 これも相当な大石だが、さッきの石にくらべれば楽なもの。言われるままにそれを背負う。
 二三十間歩いて、命じられた場所へ静かに石をおろした。また手をとってみちびかれてしばらく歩くうちに、大通りへでた。
「まッすぐ行くと虎の門よ」
 と女が道を教えてくれて、別れた。
 翌日、芝山内の山門の前、道のマンナカに大石が一ツころがっていた。酔ッ払った奴のイタズラではなさそうだ。二三十間はなれた道端の庚申塚の石だが、それをここまで運ぶには大の男の四五人がかりで全力をあげてやっても危いような仕事だ。
「まさか天狗のイタズラでもあるまいが」
 と、納所《なっしょ》坊主が寄り集って大ボヤキ。この大石をどかさないと、人が通れない。それを見て、どうかしましたか、と人が集る物見高さ。
「へえ、この石を、ねえ。オイ。天狗のイタズラだってよ」
 というわけで、たまたまこれが女相撲の小屋まで伝わったから、それじゃア花嵐が妙な女にたのまれて動かしたのはその石かも知れないと気がついた。このことが口から口へと伝わって、
「花嵐が狐に化かされて何百貫の大石を芝山内へ持ちこんだそうだぜ」
 と評判がたった。やがて珍聞の記事にもでた。そのときはもう女相撲の一行はこの土地をひきあげていた。そしてこの出来事は忘れられてしまったのである。

          ★

 日本橋にチヂミ屋という呉服問屋があった。先代が死んで、ようやく四十九日がすぎたばかりというとき、小沼男爵が坂巻多門という生糸商人をつれてやってきた。
 小沼男爵はチヂミ屋の当主久五郎(二十八)の女房政子(二十一)の父親だ。商人が男爵の娘をヨメにもらッたというのは当時としてもハシリであったが、先代にはそういうオッチョコチョイの気
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