つきます。そこが売り手の思うツボなんですよ。まかりまちがえば、無限に高くつきまさアね。相場はそうしたものですよ」
そこを日参し、拝み倒して、どうやら五万斤だけ二百二十円で買い集めてもらった。十日のうちにあとの十万斤がなんとかなりそうだという。十日といえば八月末日にほぼギリギリというところ。
それを当てにしていられないから、久五郎自身も産地へ走って、あッちで一万、こッちで三千と買い集めて、ようやく五万五千斤ほどまとめた。東京へ戻ってみると案の定多門からは梨のツブテ、十万斤の半分ぐらいはと踏んでいたのに、全然ダメだ。久五郎は泣きほろめいて多門を詰問しカケ合ったがダメの物は仕方がないから、ギリギリの八月末日に自分の買い集めた五万五千斤だけ横浜へ届けて、契約の期限は今日だが、あと十日だけ待ってくれ、残りの四万五千斤はそれまでに必ず納入するから、と懇願した。ペルメルはそれに返事をせずに新着の五万五千斤の中味を調べていたが、
「今度の品物は今までの二十五万斤の品物とは違う。今度のは全部クズ糸です。クズ糸を一部分まぜてごまかすこと、日本商人よくやる手です。それは契約違反である。契約書にも書いてあります。ところが、あなた今日もってきた五万五千斤は、クズ糸を一部まぜたものではない。全部が全部クズ糸だけです。あなたは私を外国人と思い、だます悪人ですね。今日のところは、もう、よろし。帰りなさい。そして、返事、まちなさい」
昔から生糸商人は生き馬の目をぬく商法をやりつけている。素人が買いつけに行くのは大マチガイの大ベラボーだ、何をつかまされるか分らないと相場がきまっている。だから、外国商人も生糸貿易には特に警戒して、これは甲州糸だ、島田の糸だ、上州糸だ、諏訪糸だ、前橋の玉糸だと一目で産地も見分けるぐらい知識を持っている。ましてクズ糸をつかまされるようなバカな外国商人は居なくなったが、久五郎は素人の悲しさクズ糸の見分けもつかなかった。
ペルメルは久五郎を契約違反で訴えた。約束の期限までに納入しなかったことと、五万五千斤のクズ糸をつかませようとしたカドによって、五十万ドルの罰金を要求した。裁判の結果、罰金二十万ドルでケリがついたが、納入の二十五万斤とクズ糸五万五千斤はただ取られで、一文の支払いも受けられない。
久五郎は生糸の買いつけのためにいろいろのタンポで借金までしていたのに、一文
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