ビリッとひびいて、匂ってきたものがありました。ウミの匂いもありましたけど、甘ズッパイ匂い、ビンツケの匂いのようなものがありましたね。私はこれを神様がお知らせになる女の匂いだナとビリッときましたね。この部屋に私たちの前にはいった最後の人間は女ですよ。この犯人は絶対的に男ではありません」
 オトメは自信満々、断言した。
「怪しい人の姿をあなたの目で見かけたことはありませんでしたか」
「肉眼で見えるようなことを、この犯人は絶対に致しません」
 婆さんは断言した。そして、現に神様が彼女にのりうつっているかのように身震いした。

          ★

 その翌日、横浜出帆の汽船で支那へ行こうとする一色が捕えられたと報じられたが、新十郎はそれにとりあわずに、何かに没頭していた。もういっぺん現場へ調査に行く必要があるからその日の正午に参集するという約束で、みんなの顔がそろったとき、新十郎は明るい顔で書斎からでてきた。
 新十郎がでてきたあとの書斎にはオルゴールが鳴っていた。
「ほら、オルゴールがきこえるでしょう。あれを一晩ひねくりまわしていましたよ。もっともウチのオルゴールはケンタッキーホームですがね。そして、私のオルゴールはタバコ入れです。スズリ箱に用いたことはありませんのでね」
 そして一同を見て、笑って云った。
「今日も調査に行くつもりでしたが、もうその必要はないようです。なぜオルゴールがスズリ箱の代用に用いられたかが分ると、犯人は分るのです。さて、犯人を取り押えにでかけましょう。本日は予定が変りましたから、泉山さんにはお気の毒ですが、氷川詣でができませんでしたね。私も海舟先生のお説がうけたまわれないので淋しいのです」
 虎之介は煮えきらぬ顔だ。オルゴールのスズリバコとは何だ? 海舟先生の邸にはオルゴールはなかったようだな。しかし先生も西洋のことは得意だから、オルゴールのスズリバコを海舟先生に解かせたかった。新十郎の青二才め、オルゴールなんて西洋のオモチャで日本人をおどかして威張りやがるなア、ああ残念だと口惜しがっている。一同は時信家へ急いだ。(ここで一服、犯人をお当て下さい)

          ★

 一同が到着すると、時信家の現場はまだ片づかずにごッた返している。葬儀がいつになるやら、まだそれもハッキリしない。カンジンの心棒たる唯一の男の大伍は葬式がすむとクビだと心得て、この日は朝から新しいネグラを探しにでかけたそうだ。残ったのは女どもだけ。その中でシッカリした気性の成子は次の看護の口さがしに、これも朝から出かけていた。新十郎は現場にいた警官一同に退席してもらい、一同を隣りの部屋へあつめ、自分だけ陳列室へはいってカギをかけてしまった。三十分ほどすぎた。新十郎は笑いながら出てきた。そしてまたカギをかけた。
「お待たせしました。仕掛けは五分とかからなかったのですが、一定の時刻があるので、ウトウトしてヒマをつぶしてきました。私がそうだから、皆さんは尚退屈なさったでしょう。さて、部屋のカギは事件の当日以来一ツしかなくなって、それは目下私のポケットにあるのですから、カギをかけて密封した陳列室はいかに大なりといえども人間の忍びこむ方法はありません。さて、無人の陳列室に何が起るか、二三分御辛抱ねがいます」
 新十郎は葉巻をとりだして火をつけた。ウミの匂いのこもっている人殺しの部屋の匂いにヘキエキしたのか、珍しく葉巻なぞというものをポケットへ忍ばせてきたらしい。もっとも彼が出がけまでいじっていたオルゴールの中の品物かも知れない。
「シッ!」
 新十郎が一同を制した。一同は驚いて静かになった。すると無人の陳列室にオルゴールが鳴っているのがきこえてきた。一回、二回とオルゴールは同じ曲をくりかえしている。
 新十郎は云った。
「皆さんは事件当日十一時にオルゴールが鳴ったことを思いだして下さい。そのとき、ここにはナミ子がいました。ナミ子は主人がよんでると思ってドアをあけようとしたが、カギが紛失していました。カギが紛失しているわけですよ。つまり、カギを盗んだ犯人は、陳列室へ忍びこむために盗んだのではなくて、十一時にオルゴールが鳴ってもナミ子が中へはいれぬように盗んでおいたのです。ナミ子がはいると、犯人には困ったことが起ります。なぜなら、オルゴールを鳴らしているのは主人ではなかったのです。主人はそのときすでに殺されていました。ではオルゴールを誰が鳴らしているかというと、それは犯人が鳴らしています。しかし、犯人はこの部屋の中にはおりません。居らなくともオルゴールの鳴る仕掛けが施してあったのです。そのとき犯人はよその部屋にみんなに顔を見せていました。そしてオルゴールが鳴り、ナミ子がカギがなくてウロウロしていることをチャンと心得ていました。充分に人に顔を見
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