そこへ寝ついてから三年になるが、一歩も室外へでたことがない。もっとも、歩けないせいもある。松葉杖にすがれば歩けるが、大小便もオマルで間に合わせ、一歩も室外へ出ようとしない。二ヶ所のドアにはいつもカギをかけておく。人をよぶにはオルゴールを鳴らして合図する規則になっていた。
 彼の身辺の世話をするのは、昼の部が時信大伍、夜の部が木口成子という看護婦である。ナミ子という女中が二人の助手で、そのほかの家族は一定の時間以外は病室に近づかせない。時信大伍は全作の弟だった。
 西洋で暮してきた全作が附添いに看護婦を思いつくのはフシギではなかった。ところがその看護婦が当時は珍品であった。明治十九年にようやく看護婦養成所というものができて、二ヶ年の修業で看護婦の育つ仕組みができあがったが、それまでは公式に看護婦という職業はなく、お医者が個人的に、それも主として西洋から招かれてきた紅毛碧眼のプロフェッサーが個人的に希望者を仕込んで自分の用を便じていた。木口成子もそうで、スクリード先生の私的な必要に応じて生れた看護婦第一号以前に属する前世紀動物であった。
 高額の給金を物ともせずに成子を雇っただけの値打はあった。彼女の受持は夜間である。なぜなら、全作は結核性関節炎という主病のほかに、神経痛にゼンソクに痔という三ツの持病があって、夜が大そう不安で怖しい。夜になると神経がたかぶって眠れないばかりでなく、しばしば激痛が襲いかかって死の恐怖と闘わなければならなかったからだ。
 夜の十時から朝の七時までが成子の勤務時間であった。全作の不安は夜があけると落ちつくから、朝食を与えて七時ごろ彼の睡眠を見てひきさがる。
 大伍の勤務は十時からだが、七時から十時までの三時間は女中のナミ子がつなぐことになっていた。しかし全作はその時間にはたいがいグッスリねむっていて、まず用はない。
 さて、成子に代って昼の部をつとめる時信大伍がなぜ附添いに選ばれたか、これがどうもフシギであった。
 サナエ夫人は夫婦甚だ相和さない十年間のツキアイがもとで笑いを忘れた女であるから、身辺の世話を女房に頼みたくない全作の気持はわかる。けれどもいかに血をわけた弟にせよ、鼻ヒゲをたてた中年男が病人の糞便の始末を職業とするのは適当だとは思われない。大伍は若年のころは放浪癖があって、中年に至るまで何をやっても成功せず、四十の年配にあっても、
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