ヤク払いのつもりで、自分で入れたのだろうか?
だが、なんの気もなく、その裏を返して見たときに、彼女は血を浴びたように、すくんだ。
「大加美稲荷大明神」
大加美――狼だ。シサイに見ると、字の一劃ごとに蛇である。狼イナリのお札に相違ない。
彼女はお札をそッと元へおさめた。父はお茶屋に流連《いつづけ》でまだ戻ってこないし、兄は商用で朝早く外出していた。彼女は川根の姿を見つけだしたので、そッとイナリの前へ案内した。そして、中の物をとりだして見せた。
川根はシサイに表裏を改めつつ由利子の話をきいていたが、
「これはホンモノの大加美イナリのお守りです。お嬢さんはケダモノの狼と思いこんでいらッしゃいましたが、実はこう書くのが本当なんです。ここの旦那や私の生れたのが賀美《カミ》郡賀美村。賀美というのは神様の神らしいそうです。もっとも隣りが、那珂郡ですから上《カミ》と中《ナカ》だと云う人もありますが、あの近所は方々に神山だの石神などと神の字の在所があるところでね。この大加美イナリは神主の奴が自分で大神《オーカミ》の子孫と称していやがるのですよ。また、怖しいことになりましたね」
川根は顔を暗く伏せて口をつぐんだ。由利子は思わず耳をそばだてて、
「また? また、って、なんのこと? 前にも、こんなことが有ったの?」
「申し上げて良いか、どうか。イヤ、イヤ。一度お嬢さんにオーカミイナリの名を教えてあげただけで大そうなケンツクを食ったから、これ以上は何も申し上げるわけにいきませんや。とにかく、オーカミイナリは本当にタタリをする怖しい神様だなア」
「タタリ?」
川根はそれに答えなかった。そして、そッとお札を返したが、いかにも目の前に近づいたタタリを怖れているような様子だった。
由利子も処置に窮して、仕方なく再び元の位置におさめたが、
「そうだっけ。この扉が両側に一パイに開いていたのよ。三四日お詣りしないけど、この前の時は扉は閉じてた筈だし、それに昨日のお午《ひる》ごろまで激しい吹き降りだったわね。扉が開いてればお札に雨がかかったと思うけど、そんな跡はないわ。すると、ゆうべ誰かが入れたらしいわね」
川根は答えなかった。タタリという神々の業に人智の推量は余計物だと云わんばかりの思いつめた様子であった。
久雄は夕食のとき、お給仕する由利子からその話をきいた。
「バカバカしい。見せてご
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