の趾だという伝えはオーカミイナリが自ら称するだけであった。
 ところがオーカミイナリはそれを証する古文書も古代の地図及び神域や社頭の絵図面も有ると言う。彼の先祖は大倭大根大神という神で、日本全体の国王であったが戦い敗れて一族を従えてこの地に逃げ住んだ。ところが後世に至って、臣下の子孫が児玉党、丹党、猪俣党などを称し、総家たる大加美神社を焼き払い、神たる人の子孫を追った。神の子孫は若干の古文書だけからくもフトコロに、少数の従者をしたがえて山の中へ逃げこんだ。それがオーカミイナリである。
 長い歴史のうちに少数の従者すらも離れて里へ降りてしまい、神の子孫だけが山奥に残って小さなイナリのホコラをまもり、太古からの祭りの風を伝えているという。
 しかし、土地の古老の話によると、あの山奥に天狗のような顔つきの家族が住んでいることは七八十年前にようやく村人に分ったことで、オーカミイナリなぞと云うのはそれからの存在だと云っている。
 金鑽神社というのは金や銅の神社だ。オーカミイナリはこの神社も、ミカ神社も、北向明神もみんな自分の配下で、北向明神というのは坂上田村麻呂の創建というが、実際は臣下の子孫が何々党をたてて遂に神の子孫を追うに至ったとき、神の子孫は従者に多くの黄金を背負わせて、いったん赤城山中へ逃げこんだ。そして黄金を地下に隠した。従者はひそかに村へ戻って五ツの北向明神を建てたが、この明神はいずれも北方赤城の方に向っている。そして五ツの向う正面を合せると、黄金を埋めた地点になるのだという。ところが北向明神は二社ぐらいしか残存せず、他の失われた所在地は今ではもう分らない。しかし、オーカミイナリに伝わる古文書の一ツによると、五つの所在地も図に示されていると称するのである。
 こういうことを言いふらすから、いつからか黄金をさがす山師だの山男の信仰を集め、むしろ遠方に信者があった。土地の人たちは殆ど相手にしなかったのである。オーカミイナリが自称する彼の祖神の話は村々の文書にも伝説にも一切現れず、他の神社に伝わる話に比べても概ね食い違っていたからだ。
 しかし村の古文書には現れないが、ここや秩父の神の系譜が一風変っているらしいのは事実であろう。今に残る地名などから考えても、相当な神の一族が土着したかも知れんということは考えられるから、オーカミイナリの自称する神話の多くはインチキでも、
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