戸時代はそうではない。料金は当今と比例の同じような微々たるものでも、縄張りがあった。八丁四方にアンマ一軒。これがアンマの縄張りだ。八丁四方に一軒以外は新規開業が許されないという不文律があったのである。
だから、アンマの師匠の羽ぶりは大したものだ。多くの弟子を抱えて、つかみ取らせる。師匠は立派な妾宅なぞを構えて、町内では屈指のお金持である。直々師匠につかみ取ってもらうには、よほど辞を低うし、礼を厚くしなければならなかったものである。
今ではアンマの型もくずれたが、昔のアンマは主としてメクラで、杉山流と云った。目明きアンマもいたが、これを吉田流と云い、埼玉の者に限って弟子入りを許されていた。メクラのアンマの方は生国に限定はない。
明治になるとアンマの縄張りなぞという不文律は顧られなくなって、誰がどこへ開業しても文句がでなくなったから、つかみ取るのも容易な業ではなくなったが、それでも多くの弟子をかかえてつかみ取らせることができれば、アンマの師匠御一人は悪い商売ではなかったのである。
弁内が住みこんでいる師匠のウチは、人形町のサガミ屋というアンマ屋サン。
弁内の問わず語りの通り、師匠
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