戸時代はそうではない。料金は当今と比例の同じような微々たるものでも、縄張りがあった。八丁四方にアンマ一軒。これがアンマの縄張りだ。八丁四方に一軒以外は新規開業が許されないという不文律があったのである。
 だから、アンマの師匠の羽ぶりは大したものだ。多くの弟子を抱えて、つかみ取らせる。師匠は立派な妾宅なぞを構えて、町内では屈指のお金持である。直々師匠につかみ取ってもらうには、よほど辞を低うし、礼を厚くしなければならなかったものである。
 今ではアンマの型もくずれたが、昔のアンマは主としてメクラで、杉山流と云った。目明きアンマもいたが、これを吉田流と云い、埼玉の者に限って弟子入りを許されていた。メクラのアンマの方は生国に限定はない。
 明治になるとアンマの縄張りなぞという不文律は顧られなくなって、誰がどこへ開業しても文句がでなくなったから、つかみ取るのも容易な業ではなくなったが、それでも多くの弟子をかかえてつかみ取らせることができれば、アンマの師匠御一人は悪い商売ではなかったのである。
 弁内が住みこんでいる師匠のウチは、人形町のサガミ屋というアンマ屋サン。
 弁内の問わず語りの通り、師匠の銀一は小金持の後家のオカネと良い仲になり、株を買ってもらって開業したのだそうだ。その頃はまだアンマの株なぞがあったのだろう。開業当時は多くの弟子を抱えて盛大につかみ取らせていたが、次第に時勢に押されて、商売仇きが多くなり、今では弟子がたった三人。弁内の兄弟子の角平と、見習の稲吉の三人メクラだけである。
 銀一は小金持のオカネと結婚してアンマの株を買ってもらったが、メクラ以外の者には羨しがられもしなかった。オカネの顔は四谷お岩と思えばマチガイない。メクラ以外の男はものの三十秒以上は結婚していられないという面相だった。
 オカネの片目はつぶれていたが、完全なメクラではなかった。片目はボンヤリ見えるのである。
 二人の間に子供がなかったから、銀一の姪のお志乃を養女にした。十一に養女となって今では十九である。
 銀一は一文二文のことにまでお金にこまかい男だが、オカネはもッとこまかい。一文の百分の一ぐらいまで読みの深い計算をはたらかせている。
 お志乃は銀一の姪だが、養女に選んだ張本人はオカネであった。
 お志乃も片目しか見えなかった。もっとも、残りの一ツはオカネとちがってハッキリ見える目であ
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