るてえ寸法さね。このタクラミが見破れなくて、神楽坂から市川在までの埃ッぽい道を御大儀にも三度も四度も息がつづくてえのは、昔からバカは精がつづくと云うが、牛は牛づれと思われちゃア私が甚だつらいじゃないか」
「ヤ。実に敬服すべき心眼です」
新十郎は顔を赤らめて恐縮して、
「コマ五郎が落ちつき払って腕を後にまわしたところを見ていらッしゃるとは恐しい。牛づれなどとは、とんでもない。ですが、もう一ヶ所だけ、善光寺へ参詣のつもりで、牛にひかれて下さいな」
新十郎の善光寺は、木場のヤマ甚という旦那のところであった。喜兵衛や太兵衛と同年輩の友達で、これまた思慮と胆力に富んだ代表的な木場の旦那であった。新十郎は快く奥へ招ぜられたが、
「ダビ所が燃え落ちた直後に、トビの者が三々五々、本当に誰かが死んでいるぜ、といぶかしそうにヒソヒソ話をしていたそうですが、それは彼らがどのような驚きから発したように見えたのですか。たとえば、本当に焼死者の姿があるべきではないのに、予期に反して確かに誰かが死んでいたという意味か……」
ヤマ甚は深くうなずいて、
「さすがに天下の結城さん。そこを見て下されて、私も満足です。私もあなたの仰有る意味のように見たのですが、会葬者も警察もそう見てくれる者がないので、さては私の心の迷いかと、いささかわが身のモウロクをはかなんでいたところです。結城さんがそこを見て下されば、私は確信して申上げることができますよ。トビの者は、たしかに焼け死ぬ者がいない筈だと思いこんでいたのですよ。あの機敏な判断にとんだコマ五郎が火消装束に身をかためて見張っていながら、人の生死にかかわる火勢の判断や助ける時期を失う筈はない。よしんばコマ五郎はこれを山キの覚悟の自殺ととッさに判断したにしても、火消し商売の輩下が何十人と火消装束で身をかためて見ていながら、山キの危険をさとって飛びこもうとした者が一人もないのはフシギだ。ジャンと音をきいたとたんにハネ起きて装束をつかんで走っている江戸の火消人足じゃアありませんか。こうと見てとれば誰が止めようと火の中へとびこむように生れついている勇ましい奴らですよ。親分の指図がないから、人がみすみす死ぬと知って動かないというような、おとなしい奴らじゃありませんよ。その奴らが、焼跡に屍体を見て、オイ、本当に誰かが死んでいるぜ、と怪しんだとすれば、一目リョウゼンじゃ
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