ませんので」
「まことに礼儀をわきまえぬことで申訳もございません。実は番頭の重二郎さんの行方が分らないそうですが、葬式の前日当家へ見えて、夕食後市川の別荘へ行かれたままその後のことが知れません。そのときの車夫に会わせていただきたいのですが」
 チヨは利口そうな目をあげてジッと新十郎を見つめて、
「この寮の車夫はその日あいにく父をのせて市川へ参りまして、重二郎さんを市川へ御送りした車は当家のものではございません。私は奥におりまして、誰が車を探しに出たやら存知ませんが、女中にでも訊いてみましたら……」
 チヨが兄の顔を見て、女中に訊いてきて、という目顔に、保太郎は気軽に立ち上って、やがて二人の女中を連れて戻ってきた。
「お鈴の話では、門を一足でると、ちょうど通りかかった車があったから呼びこんだのだそうです。その車夫を見覚えているかえ」
 まだ十八のお鈴は赤くなって「いいえ」と首をふり、
「夜でしたのに、その車夫はまだチョウチンもつけておりません。私が門を一足でると、ぶつかるようにすれちがったハズミに私のチョウチンがはじかれて、地へ落ちて消えました。その消えたチョウチンは車夫が拾ってくれましたが、顔形も見るヒマがなく闇になってしまいました」
「重二郎さんが乗って出かける時は、チョウチンもつけていたろうから、年かっこうぐらい見えたろうね」
 と保太郎に問われて、お鈴はまた赤くなって、首をふった。
「番頭さんがお乗りになる時もチョウチンなしで、暗闇でおのせしてからチョウチンをつけてカジを上げたんです。番頭さんにチョウチンはときかれて、市川までは遠いから、できるだけローソクをケンヤクしなくッちゃアと、言い訳をのべていました。ローソクなら持ってきてあげようと私が云いますと、それには及ばないと、チョウチンをつけて走り去ったのです。後姿をちょッと見ただけで、年かっこうも、何も分りません」
「このへんにお住いの方々はモーロー車夫を信用なさるのですか」
 と、新十郎の澄んだ目で見つめられたが、お鈴は案外ハッキリと、
「番頭さんは若い頃剣術や柔術の先生について大そう腕自慢でしたから、モーロー車夫ぐらいに驚きません。そんな奴はオレの方が身ぐるみはいでやると、ふだんからそんな強がりを言っていた方です」
「そう、そう。ちょうどオレが子供のころ、木場の若い者に武ばったことがはやったものだ。オレの年
前へ 次へ
全35ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング