さんは葬式の前日の午後二時ごろ向島の寮からの使いが来て、そッちへ出むいたようです」
 というのが、本邸で最後に彼の姿を見たという者の言葉であった。
「使いの者を覚えているかね」
「寮の車夫の房吉ですよ。番頭さんはその車にのって出かけました」
 喜兵衛が死んでから、清作が本邸へつめているというので、新十郎は面会をもとめ、
「突然妙なことを伺うようですが、父上の御遺言はありましたか」
「いえ。覚悟の自殺ではないようで、別に遺言はございません」
「父上の落しダネと名乗って当家へユスリに現れた者はございませんか」
「そういう話はついぞ聞いたことがございません」
「大番頭の重二郎は父上の信用がありましたでしょうか。本当のことを打ちあけていただきたいのですが」
「特に信用があったとは思われませんが、先代が当家の基礎をかためてくれた忠義一徹の番頭で、その子ですし、私の死んだ姉の聟に当る者ですから、他人ではありません。信用のあるなしというよりも、身内ですから」
「信用はなかったが、身内だから、仕方なく使っていたという意味でしょうか」
「いえ。ただ身内の者だと申す意味です」
 清作はやや顔をくもらせて、吐きすてるように呟いた。
「すると、重二郎の子供が御当家をつぐのでしょうか」
「いえ。私の家内が身ごもっておりますから、生れた子供が男なら当然私のあととりですが、女であっても、ほかに子供が生れなければ聟を迎えて後をつがせるつもりです」
「聟は重二郎の子供?」
「イトコ同士はいけません。同業者の子供からでも聟を選ぶことにしますか。とにかく、生れてみた上の話で」
「コマ五郎は当家に恨みがあるのですか」
「いえ。とんでもない。先代のコマ五郎以来、当家の無二の忠臣で、父を殺すワケがあろうとは思われませんが」
「コマ五郎輩下の土佐八の倅の波三郎という者を御存じですか」
「土佐八はコマ五郎が目をかけている一の輩下ですから、彼とその子の波三郎だけはコマ五郎同様板の間まで上って挨拶できることになっております。それでコマ五郎輩下では土佐八と波三郎だけ見知っております。口をきいたことはありません」
 そこで清作との話をきりあげて、幸い寮の車夫の房吉が清作を迎えにきて待っているから、これに会った。
「葬式の前日、重二郎を迎えにきて寮へ案内したのはお前だったね」
「へえ、左様で。大旦那の言いつけで」
「重二郎
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