い。長命の望みなしと二十で嫁をもたせた清作は案外にも長持ちして、すでに三十であるが、まだ何年かは持ちそうだ。現に二人の孫を失うと殆ど同時に、あたかもそれを取りかえすようにチヨは妊娠してくれた。死んだ孫の数を取りかえすのも儚い希望ではなかろう。
 そこで喜兵衛は心機一転、年が改ると共に自分の誕生日がくるから、ちょうど還暦に当るを幸い、厄払い、縁起直しに思いついたのが生きた葬式である。いっぺん死んで、生れ変ろうという彼らしい趣向であった。
 いったん心を持ち直せば一時のメソメソしたところはカゲすらも見せない喜兵衛。発心の起りはどうあろうと、葬式のダンドリが陽気で、荒っぽくて、賑やかで、勇ましいこと。準備は年の暮から、木やり音頭と共に着々すすんでいた。
 お隣りのシナでは病人の枕元の一番よく見えるところへ棺桶を飾って病床をなぐさめ、お前さんはこの立派な棺桶におさまるのだから心おきなく死になさいよ、と安心を与えてやる。さすがに大陸の風習はノンビリしているが、日本でこんなことをやると、オレの死ぬのを待っていやがるか。オノレ恨めしや。棺桶を蹴とばしてユーレイになってしまう。だから死ぬまでは何食わぬ顔、ただ生命を保つ工夫にこれ努める心底をヒレキしてユーレイ防止に全幅の努力を払わなければならない。
 そこで、さア死んだとなると、忙しいな。ここにはじめて、にわかに葬式の準備にかかる。けれども、何様の葬式でも一週間か十日のうちには終らなければならないものであるから、精一パイ準備しても、参会者の頭数やお供え物を差引くと、あとには白木のバラックと賃借りの幕が残るぐらいのものだ。
 喜兵衛の葬式は充分に時間をかけて本場の木やりで気合をかけながら着々と念を入れてやったのだから、棺桶だってシナの上物に負けないのが出来ているが、全般の準備に較べれば、それぐらいは物の数ではない。
 知人のもとに刷り物の死亡通知と葬式の案内状が発送されたが、そこには式の次第がちゃんと書いてある。それによると、喜兵衛が死んで生れかわるまでの順序は次のようになっている。
 まず坊さんの読経があって、禅師が喜兵衛の頭をまるめ法衣をきせてやる。そこで喜兵衛は法体となり生きながら自分で歩いてノコノコと棺桶におさまる。
 そこでトビのコマ五郎輩下の若い者が火消装束に身をそろえ、棺桶を担いで木やり勇ましく庭園内に葬列をねって、ダビ
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