がよかったのかも知れません。そして予定通りの開店に成功しましたが、その目的は何であったかと云えば、シノブ夫人がロッテナム美人術の大愛好者になることが不自然でないこと、その結果としてあらゆる知人をロッテナム美人術に誘い、遂には良人の大伴侯爵をもひそかにロッテナム美人館へ誘いだす目的のためにです。これが本当の目的でした。シノブ夫人は唯一の見物人たる良人の眼前で、美人術の実演をうけるモデル女として寝台の上に横たわりましたが、その部屋は他の貴婦人たちが美人術をうけた階下の手術室ではなくて、シノブ夫人がひそかに二階に借りていた、自分の寝室に於てです。そして、シノブ夫人が横たわった手術用の寝台は、階下の物とはちがって、もっと型が大きかったし、その上、全部が板によって出来ていました。即ちそれは元来が美人術用の物ではなくて、実際は奇術用のもの、底が三重になっているものでした。その寝台の板の下には、すでに二人の侍女たちがひそんでいたのです。皆さんが西洋奇術をごらんになると、稀に同類のものが目にとまる筈ですが、奇術とは申しても、ここに必要なのは主として道具の構造だけで、演技の熟練に要する時間は多くを必要としません。シノブ夫人はロッテナム美人術へ毎日通ったそうですが、概ねこの寝室にひそかにこもり、侍女たちと三人でたった一度実演するだけの奇術のために練習を重ねていたのです。ロッテナム美人術がつぶれるまでの一ヶ月間も練習したとすれば、ロンドンや巴里《パリ》の劇場で実演している奇術師と同じぐらい完全に行う技術は楽々習得したでしょう。こうして、お兄上が見物している眼前で行われた美人術は、肌をなめらかに顔のシワをとる美人術ではなくて、シノブ夫人がキミ子となり、キミ子がカヨ子となり、カヨ子がシノブ夫人にもどるという奇妙な変身術でありました。ロッテナム美人術によって同一人が三体に変化しうるという実験が行われそれが眼前に確かに証明されましたから、お兄上は三位一体を信ぜざるを得なかったのです。陰謀者たちは最後の実演によって仕上げを行うに先立って、ロッテナム美人術というものをお兄上に物語り、徐々に興味を持たせるために努めたでしょう。それと同時に三人の女たちは決して同時に姿を現すことがないように注意深く行動しはじめていたでしょう。またこの実演にとりかかる前には、奥様が結婚あそばして婚家へ立ち去ることも必要でした。ロッテナム夫人は奥様の御婚礼の一ヶ月ほど前に開店したのですが、そして御婚礼の数日後には閉店したのですが、つまりロッテナム美人術の本当の目的たる奇術の実演を行うに当って唯一の妹たる奥様ほど邪魔な存在はなく、その実演はどうしても御婚礼後の必要があった。しかし奥様の婚礼後数日もあれば充分で、その日まで営業するだけで足りたのです。御婚礼後、お兄上の発作がたちまちはじまったのは、そのとき実演が行われたのでしょう。そして、お兄上の精神鑑定の物々しい席で、最後にお兄上が卒倒されたのは、有りうべからざる奇怪を見たからでありました。三人の異る女が同一人であるためには、いかに外見が異っても、その存在は眼前の実在としては常に一でなければならない。しかるに同一人が同時に異る三体となって眼前に姿を示したから、お兄上はその奇怪さに逆上して卒倒されたのでしたろう。ロッテナム美人術とは実にこの一ツの目的のために仕組まれて地球の半周の彼方から演技者の一部分が呼びよせられたほどの地上に最大の構成をもった芝居と奇術の混合物でもあったのです」
 こう説明を終えた新十郎は驚くべき早さで立ち去る構えに転じていた。
「私が突き止めたのはカラクリの筋だけです。これを人々に納得させるに足る私自身の実演は果してどの地から人や設備が得られるでしょうか」
 こう呟くと彼はすでにふりむいて歩いていた。彼の一生に、この時ほど悲しい時はある筈がないのだ。
 しかし、それから三日後には大伴宗久の死が報ぜられた。三日間はやまったと彼は唇をかんだが、しかし、いくらか救われたような軽い気持をとりもどすこともできたようだった。



底本:「坂口安吾全集 10」筑摩書房
   1998(平成10)年11月20日初版第1刷発行
底本の親本:「小説新潮 第六巻第一号」
   1952(昭和27)年1月1日発行
初出:「小説新潮 第六巻第一号」
   1952(昭和27)年1月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:松永正敏
2006年5月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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