すからロッテナム夫人の莫大な家賃は、実はこの寝室の借り賃なのかも知れません。ですが彼女が術をうけなかったというのはマチガイかも知れませんね。彼女は一般の手術室で他の貴婦人と同様な術はうけませんでしたが、自分ひとりのための寝室の中へ、皆さんの美人術に用いるものの何倍もあるような手術用の寝台を持ちこんで、それを自分だけで使用していた形跡はあったと留守番の老人は申しているのです。ですから、他の人々がうけた施術は玉の肌を荒す目的の美人術でしたが、彼女のうけた施術だけはホンモノの美人術で、彼女の推賞には秘密の真実を白状している本音も含まれているのかも知れません」
「もしもそれが事実でしたら、大伴夫人はさらに益々美しくなる貴重な女神を失ったようなものではございませんか。そして仰有ることが事実ならば、ロッテナム夫人を手放しは致しますまい」
「たしかにそうですわ。あなたは忽ち主要な点にお気づきになるフシギな方ですわね。すると彼女の手術も他の方のと同じようにやっぱり利き目がなかったのでしょう。ですが、他の貴婦人の何倍もある手術用の寝台を使っていたというのですから、慾が深いのね」
 そのとき外出先から戻ってきて、女主人と見なれぬ訪客との立話を小耳にはさんだ留守番の老人が独り言を呟くように口を入れた。
「慾のせいとも言えないねえ。皆さん用の寝台は形は小さくとも美しい飾があって、ふッくらとやわらかい絹フトンつきの寝台だが、大伴さまが二階の寝室へあげるのを手伝ってくれと仰有って、私が三本指の黒ン坊に手をかして二階の寝室まで運びこんだのは上から下まで木でできた箱のような寝台さ。外から見れば棺桶を何倍も大きくしたような薄汚いものだが、美人になりたい一心のために、あの棺桶に寝るという御婦人方の気持ばかりはおどろき入ったものだてなア」
「大伴夫人がその上で美人術をうけているのを見たかね」
「二階の寝室の中のことは、外からは分りやしねえ。私はロッテナム夫人が来てからも、昔通り自分の部屋に住むことだけは許されていたが、私の部屋と台所に自由に出入できるだけで、二階にも手術室にも黒ん坊の部屋の方にも行かれやしない。同じ軒の下に住んではいても、口一ツ利くわけでもなし、お早うを言うでもなし、ツキアイは一切やらず、美人術の連中が通る廊下をこの私は歩くワケにいかねえのだから、同じ軒の下でやってる筈の美人術のことなんぞも道路の方から邸の方を見て通る通行人と同じぐらいしか知りやしねえや。しかし、階下の使用しか許されていないロッテナム夫人が大伴さまの侍女たちと二階の寝室へトントンとでかけることがチョク/\あったようだから、大伴さまが特別の美人術をうけていたのはウソではなかろう」
「ロッテナム夫人が立ち去るときには、大伴夫人の個人用の手術台まで持去ったのかね」
「私がそれに気がついた時はなかったようだが、ここに置いとく筈はなかろうよ。他人に使わせたくない特別な物だから、ロッテナム夫人が持ち去らなければ大伴さまが自宅へ持ち去るにきまってらアな」
 新十郎は厚く婦人に礼をのべて辞去したが、その足でただちに通太郎夫妻を訪ねて、
「あなた方は精神病院のお兄様に面会ができるでしょうね」
「それが、まだ医師の許しがでないのです。発作がしずまって、一定の落ちつきを取り戻すまでは、いかなる者にも面会を許すことができないのが精神病院の定めとかで、克子は毎日のように病院へ問い合せを発しているのですが、いまだに吉報はありません」
「そうですか。それでは面会が許されたとき、イの一番にこれをお兄様に示してその返答をたしかめていただきたいのですが」
 と、一枚の紙をとりだして渡した。その紙には、
「貴殿がロッテナム美人館を訪問せられし折に招ぜられたる手術室は、階下なりしや、階上なりしや」
 実に通太郎夫妻にとっては意外千万というほかにない質問がたった一ツ書かれていただけであった。克子は呆れて、
「本当にこんなことを訊ねてもよろしいのでしょうか。兄上がロッテナム美人館へ行ったことがあったとは想像することもできないのですが」
「大伴家では誰にも想像のできないようなことだけが起っているのですよ。ですが、この質問に、もしも私が期待しているような御返事がいただければ、九分九厘までお兄様を鉄の格子の中から救いだすことができるでしょう」
 と、謎のようなことを言い残して、新十郎は消え去った。

          ★

 それから何日かがすぎて、珍らしく新十郎は虎之介を案内にたてて、氷川の海舟邸を訪ね、他の訪客には遠慮してもらッて、長らく密談にふけっていた。
「コチトラは敗軍の将だから、当節の殿様の権柄《けんぺい》については不案内だが、文明開化の御時世とはいえ、無理が通れば道理がひッこむ。いかな明君の治世といえども、道理がみ
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