の様子ではすでに夜逃げ同然行方をくらましたということですが、外国人の来朝や帰国についてはその記録に当る機関があるだろうと思います。それらの調査を終った上で、数日後に結果を御報告いたしましょう」
 と約束して立ち別れた。
 新十郎は外務省を訪ねた。洋行帰りの彼であるから彼《か》の地でジッコンを重ねた役人もあって、新十郎の知りたい事を調べてもらうには便利であったが、ロッテナム夫人、ならびにその従者の来朝帰国については、それについては当然何かの消息が知りうる筈のところに、ただの一行も記録したものがなく、それについて報告をうけたことも、上司から調査を命じられたこともないという。変名の場合を考えて、似たような婦人を古い記録をはじめコクメイに探してもらったが、まったくそれらしい婦人に就て知ることができなかった。
 そこへ彼の親しい友である宇井という外交官が外国の公館員と長い用談を終えて、ようやく姿を現したが、
「ナニ? ロッテナム夫人? そんなものを筋の通ったことしか知らないお役所で調べたって分るものか。海外に遊学して外国の事情にも通じた天下の名探偵ともあろうものが、イカサマ師の外国人の足跡を外務省へ調べにくるとは大笑いではないか。裏街道の手型はお役所からはでないが、ニセの手型でイカサマ師の外国人が表通りに堂々と営業できるのは日本だけのことではないぜ」
「しかし公爵夫人が手術をうけたり二百円の香水を買ったことが日毎の新聞紙を賑わすに至っても、かね」
「天下の名門婦人が競って店に集るに至れば、益々治外法権さ」
「次第に悪評が立って、イカサマの美人術であることが天下に喧伝された場合には? そして、被害者は天下の名門婦人だが」
 宇井はニッコリ笑って、
「そろそろ退庁の時刻だ。それほどイカサマ美人術師のことが気がかりなら、多少の知識はもらしてもいいが、さて、八百膳で我慢するか。美人術師のことだから、天下の美人の侍る席がよろしかろうが」
 と、二人は笑いつつ外へでて食卓をかこみながら、
「わずかに一ヶ月足らずでお人よしの名門婦人に手ひどい悪評をまねくようでは、全然美人術の素人にきまっていると思わないかね。云うまでもなくロッテナム夫人などというものは、それ以前にも、それ以後にも存在しない名にきまっているな。その名を追うたところでいかなる小さな消息をつかむことも不可能にきまっていよう。アラビヤなどとは使節を交していないから、彼女の責任を負うている外国公館も存在しないぜ」
「店を開く手続きは?」
「君に勘定をもたせるわけは、それだよ。わずかに一ヶ月足らずで貴婦人たちから揃ってヒジ鉄砲を食ったというのは、あんまり馬脚を現すのが早すぎるようだが、その反対に、開店と同時にすでに名流夫人の人気にことごとく投じていた。さすれば開店のアッセンをした者が日本の名流婦人の心を左右する力をそなえた誰かであることが分ろう。その誰かは、三人いる。それは公爵と大臣で、それ以下の身分の人ではないことだけ言っておこう。むろん、すでにお察しの如くにこの三貴人を動かした者が実際に君が知りたい人名であろうが、それはたぶん誰にも知られていないだろう。むろん僕にも分らない。しかし、外国関係のことが職業の我々仲間には、いまもって大きな謎が一ツ残っている。三貴人を動かして開店と同時に名流婦人が法外の値を物ともせずに飛びつくような効果的な後援を貴人直々してくれるには相当の運動資金が必要であろう。貴人の名を後援者につらねることは容易だが、真に効果的な実役を果すことに努めるのはこの人々の習慣的な後援法にはないことだ。それは莫大な運動資金を費したと想像しうるにも拘らず、ロッテナム夫人は一ヶ月足らずのうちに悪評の総攻撃にあって行方をくらました。もっとも、高価きわまる手術費と香水の値段だから、ロッテナム夫人のモウケは一ヶ月でも少なからぬ額であったと想像しうるが、三貴人を動かした人がこれによっていかに益するところがあったか、これが我々の大いなる謎なのさ。ある者はスパイだろうかと疑る。我々外交官は、まずそれを考えるのだ。しかし、これによって益するスパイ行為が有りうるだろうか。まず疑った者も、結局ない、という結論に至らざるを得ないのさ。するとそのほかに何が考えられるだろう? ここまでくるともはや外交官には分らない。あとは君の解く領分だが、それにも拘らず、表面に大看板をかかげ、たしかに何かの目的のために表向きの大役をつとめたのが奇々怪々な外国婦人であったという点で、我々外交官にとっては、今もって関心と謎を忘れることができない。実は内々こッちから名探偵に助け舟をもとめたいほど、なんとなく気がかりな事だったのさ。どうやら、こッちが勘定をもたなければならないような話になったがね」
 宇井はさらにいかにもガッカリしたよう
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