情は我々在欧の岡焼き連のセンボーの的であったよ。シノブさんは昨年の暮に帰国した。と、隆光君も今春、外国勤務をとかれて帰国した。上官に頼みこんで内地勤務にしてもらったのだそうだが、シノブさんの後を追って帰国したい一心からだという専らの評判だった。ところが、このたび私が帰朝しておどろいた。シノブさんはこの初秋に大伴宗久氏と結婚したではないか。表てむきの媒的人は某公爵だが、内輪の取り持ちは久世隆光の父、喜善だというではないか。息子に因果を含めるために帰朝させたと考えても妙な話。大伴家といえば、南国の大藩の宗家。その富は莫大であり、しかも注目すべきことには、大伴家所領の山々こそは日本最大の地下資源の眠るところ。あまつさえ、山師や事業家の暗躍をシリメに、当主大伴宗久どのは書斎の中で居眠り同然の読書にふけって、血まなこの山師事業家どもを全然そばへ寄せつけない。ところで、累代の家老筋たる重臣が主家のために特に取りきめた縁組にしては妙ではないか。世に金権結婚と称する通り、華族が金持と縁を結ぶことはある。なるほど須和康人は金持には相違ないが、大伴家は華族ながらも特別の大金持ち、須和康人の富も遠く及ぶところではない。金権結婚と云いたいが、これでは話がアベコベだ。大伴家累代の重臣が縁組をすすめるならば、五摂家の姫君などが、いかにも然るべきところであろう。このへんの話がまことに奇怪で、アベコベだとは思わないかね」
 宇佐美通太郎は小大名の子息であるが、バカ殿様の生活が生れつき性に合わないスネ者で、大洋にあこがれ、航海にあこがれていた。そこで造船術を学んだが、かく決意したときから、家督は弟にゆずる覚悟であった。そして、克子を迎えたときは目的通り、すでに一介の造船技師として、また航海技術研究家として、ただの市民になっていた。先輩は話をつづけて、
「なア。宇佐美君。貴公は世間の噂を御存知か。久世喜善が克子さんを貴公の嫁御に選んだのは、貴公が大名の嫡流のくせに、名誉も金もいらぬという、妙な気骨のあるところが気に入ったせいだと云うぜ。まったく、当節カネや太鼓で探してもオイソレとは見当らない妙な気骨だて。妹の嫁入費用で当主の財産を減らしたくない家老のメガネにかなうのは尤も千万だ。若年ながらも、すでに造船航海術の英才。それ以下におちぶれることはなかろうし、おちぶれても嫁の実家の財産を目当てにするような貴公ではない。久世喜善は目が高いというもっぱらの大評判だぜ」
 まったく、世事にはうとい通太郎であった。八住にこう云われてみると、それまでなんの気なしに聞き流していた人の言葉に二三思い当ることがある。また、その後も同じような噂をチョイ/\耳にしたが、今度は下地ができているから、人々の遠まわしの言い方もよく意味が分る。なるほど。義兄やオレの結婚について、世間ではそんな噂があるのか、と思い当った。そこでこの話を克子にきかせた。
 克子もむろん初耳であった。深窓の娘にそんな噂はとどかなかったし、兄の結婚についても、シノブを一目見て舌をまいて敬服した克子であった。西洋で智徳をみがいた天下の大令嬢と身辺の者どもが噂するのをきき知っていたから、その実物のまさにさもありぬべきキラビヤカな立居振舞を見ては、さすがに大したものよと舌をまくばかりで、その他のことは考える余地もなかった。生れつき虚弱で、社交ぎらいで、ただ書斎の虫のような兄にはちょッとツリアイがとれないようなヒケメさえ感じたほどであった。
 しかし、大藩の当主としては陰鬱で風采の上らぬ宗久であったが、その学識は彼を知る者の絶讃せざるなき有様で、学問は名も金もいらぬ者にしてはじめて深く正しかるべし。これを大伴宗久に見るべし、と友人逍遥が言ったという。彼は古代の史実や風俗等について宗久に教えを乞うていたそうだ。奇しくも宗久と通太郎とが、名も金もいらないという同じ鑑定を得ていたのである。
 結婚前の宗久は単に書斎の虫であった。明るいところはなかったが、静かで落着いた毎日であった。
 ところが、新婚後の宗久は、昔ながらの書斎の生活が次第に乱れているようだった。結婚前には明るくはないが、自然で、安静なものに見えたのに、今では何かのために苦しみ、何かを遁れたいような苛立たしいカゲリや、いたましい暗さがあった。
 もともと克子の部屋は宗久の書斎から遠く離れていたが、彼の結婚までは気の向いたとき兄の部屋へ自由に出入できたのである。しかし、新婚後は、自由に出入もできない。別に禁ぜられたわけではないが、兄の書斎の隣室も、寝室の隣室も、その他の多くの部屋部屋がシノブの居間や化粧間や応接間や寝室などに飾り代えられ、それにつづいてキミ子にカヨ子という二人の侍女の部屋があった。この侍女は宗久とシノブの二人につきそって身の廻りの世話をやき、その下にスミと
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