の目にいやらしい蛇のようにハッキリとしみついているのは、そこに謎をとく何かがあるという神様のお告げのようにも思われて……」
 と、こう云って、さすがに克子も顔をあからめたが、良人はそれをさえぎって、
「イヤ、イヤ。羞しがらずに、なんでも思いついていることを言い切らなければいけない。人様に云うと笑われそうな、神様だの先祖のお告げかも知れないと思うようなとりとめもない神秘的な暗示や思いつきなどに、案外にも正しいカンが作用しているかも知れないよ。その方がこの目でシカと見たことよりも時には正しい真相を見破っていることがある」
 こう云って、通太郎は妻をはげました。かくて二人はいろいろの疑問を提出して考え合ったが、宗久の幻想の由来はどうしても見当がつかない。そして二人は多くの疑問を残して寝についたが、その翌朝の目がさめたとき、克子の頭にフッと浮かんだことがあった。
「そうだッけ。ゆうべはあのナゼ? を思いだそうとしても分らなかったのに、それがこれほど単純な事実だったのは、フシギなほどだ。これに関聯したことはみんな思いだしていたのに、このことだけがどうして思いだせなかったのかしら」
 思いだしてみると、バカバカしいほど単純な事実であった。
 克子がゆうべどうしても思いだせなかったことと云うのは、彼女が一夜つきそっていた兄の枕頭をはなれて、別室に待つ人々に、異状なく過ぎた一夜の様子と、むしろ兄は安静を得て快方に向いつつありと判断しうる吉報などを報告にでかけた時のことである。
 その部屋にシノブの姿はなかったが、キミ子とカヨ子はいた、その二人を見た瞬間に克子はシノブの分身を見たと直覚した。何かの事実によってその直覚が起ったことを記憶していたが、いかなる事実によってであるか、それが昨夜はどうしても思いだすことができなかったのである。
 思いだしてみればバカバカしいことである。すぐその隣りに当ることまでは思いだしたり、こねまわしていたのであった。
 キミ子とカヨ子をシノブの分身と直覚したのは、二人ともシノブ夫人御愛用の高価無類のロッテナム夫人の香水「黒衣の母の涙」を身につけていたからだ。
 その何時間か前に、キミ子一人の姿を認めた時にも、この香水の香りに気づいて、甚しく意外な感にうたれていたのだ。この時の意外感は鮮明で、昨夜の克子はこの意外感のテンマツの方は思いだして良人に語っていたの
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