瞬間のハジカれた動きであった。にわかに両の手がパッとひらいて天へ延びると同時に、それにつれてちぢんでいた両足もいくらかは延びたものか、もしくはいくらか飛びあがったのかも知れない。人々は宗久の手も足も全部の動きを捉えることはとても出来なかったのである。ある一人の人は、柳の枝に飛びつこうとしている絵の中の蛙のような姿が衝撃的に起ったのだと言っているが、克子が見たのもそれに似た人の姿であったかも知れない。それに似た影が一瞬に起って、一瞬のうちに終っていた。そのとき、一瞬の影から発したのか、他の位置の他の物体や人体から発したのか、誰にも正体を捉える術がなかったような一ツの音が、同時に起って、終っていた。その影にも音にも、前ぶれがなくて、後に残った動きも響きもなかったのである。まさしく一瞬の影が唐突に過ぎただけのことであった。
影は、そこに、倒れていた。大伴宗久は、彼が立ちすくんでいた場所に、今や、ただ倒れていただけであった。
大博士たちと大貴族たちとによる鑑定人も立会人も、相手の身分を考慮して意見の発表をためらうような考慮もいらなかったが、第一、相談までにも及ばす、各々が目を見合せて総てが一決していたようなものであった。
侯爵大伴宗久は、その倒れた位置から精神病院の一室へ運び去られてしまったのである。否、彼はその位置に倒れた時から、もう侯爵ではなかったと言うべきかも知れない。否、その瞬間から、人間ですらもなかったかも知れない。そこに倒れていたものは、もはや影にすぎなかった、と言うべきであるかも知れない。
南国の一角に千年の王者であった大伴家はこの一瞬に亡びたのであろうか。あとに残ったものは、ただ莫大な財宝だけであった。それはシノブの手に帰したものであろうか。
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宇佐美通太郎は、妻の語る現実の悲劇を、そして、その悲劇中の一人物の語る言葉を科学者の注意深さで、熱心に耳にとめ、心にとめようと努力していた。けれども俗事は陰険で表裏が非科学的に複雑であるから、いくら注意深くても、世事にうとい科学者の見逃し易い要点があった。その代りには、アベコベに、世事に通じた人々が見逃し易いものを確実に捉える場合もあった。
また彼は最も世俗的な要点を見逃し易い代りに、いったんそれを発見して心にとめると、その重要さを人一倍理解して、さらに奥を究める能力があった。
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