公ではない。久世喜善は目が高いというもっぱらの大評判だぜ」
 まったく、世事にはうとい通太郎であった。八住にこう云われてみると、それまでなんの気なしに聞き流していた人の言葉に二三思い当ることがある。また、その後も同じような噂をチョイ/\耳にしたが、今度は下地ができているから、人々の遠まわしの言い方もよく意味が分る。なるほど。義兄やオレの結婚について、世間ではそんな噂があるのか、と思い当った。そこでこの話を克子にきかせた。
 克子もむろん初耳であった。深窓の娘にそんな噂はとどかなかったし、兄の結婚についても、シノブを一目見て舌をまいて敬服した克子であった。西洋で智徳をみがいた天下の大令嬢と身辺の者どもが噂するのをきき知っていたから、その実物のまさにさもありぬべきキラビヤカな立居振舞を見ては、さすがに大したものよと舌をまくばかりで、その他のことは考える余地もなかった。生れつき虚弱で、社交ぎらいで、ただ書斎の虫のような兄にはちょッとツリアイがとれないようなヒケメさえ感じたほどであった。
 しかし、大藩の当主としては陰鬱で風采の上らぬ宗久であったが、その学識は彼を知る者の絶讃せざるなき有様で、学問は名も金もいらぬ者にしてはじめて深く正しかるべし。これを大伴宗久に見るべし、と友人逍遥が言ったという。彼は古代の史実や風俗等について宗久に教えを乞うていたそうだ。奇しくも宗久と通太郎とが、名も金もいらないという同じ鑑定を得ていたのである。
 結婚前の宗久は単に書斎の虫であった。明るいところはなかったが、静かで落着いた毎日であった。
 ところが、新婚後の宗久は、昔ながらの書斎の生活が次第に乱れているようだった。結婚前には明るくはないが、自然で、安静なものに見えたのに、今では何かのために苦しみ、何かを遁れたいような苛立たしいカゲリや、いたましい暗さがあった。
 もともと克子の部屋は宗久の書斎から遠く離れていたが、彼の結婚までは気の向いたとき兄の部屋へ自由に出入できたのである。しかし、新婚後は、自由に出入もできない。別に禁ぜられたわけではないが、兄の書斎の隣室も、寝室の隣室も、その他の多くの部屋部屋がシノブの居間や化粧間や応接間や寝室などに飾り代えられ、それにつづいてキミ子にカヨ子という二人の侍女の部屋があった。この侍女は宗久とシノブの二人につきそって身の廻りの世話をやき、その下にスミと
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