ノブも一人ではないのだ。ほかに二人のシノブがいる。カヨと、キミが、シノブなのだ。誰にも分るまいが、仕方のないことだ。お前には分らせたいが、まだ、分るまい。だが克子よ。お前だけはオレの言葉を信じてもらいたいものだ。ここに附き添っていてくれると、今に分る時がくるだろう。いつまでもここに居てくれ。オレが眠っている間も、ここを動いてくれるな。オレはお前だけしか信じることができないのだから……」
 こう呟いているうちに、宗久はねこんでしまった。その寝額は、さっきに比べて、たしかに安らかなようだった。
 三人の男が一人の男。三人の女が一人の女。それは、どういう意味だろう。考えただけではとても分りそうなことではなかった。
 しかし、三人の女は一人のシノブだと云ったが、三人の男は一人の誰だろう?
 シノブは、美しく、社交家で、明るかった。彼女がアニヨメとして克子の前に現れたときには、すくなからぬ敬意をいだいたものである。しかし兄の生活は、結婚後、むしろいけないようであった。明るく、美しく、利巧なアニヨメの力でも、兄の性格的な暗さはどうにもならないのであろうか。
 しかし、兄の新婚後、二ヶ月足らずで克子もお嫁に行ったから、兄夫婦の生活の内部のことは深く立ち入って知る機会がなかった。
 克子がアニヨメのことで、思いがけない噂をきいたのは、結婚後のことであった。それをきかせてくれたのは、良人通太郎であった。通太郎の先輩で、海外の視察から戻ってきた八住という若い手腕家が、通太郎の花嫁が克子であると知って、こう語ったそうだ。
「たしか君の新夫人の兄上大伴宗久氏は須和康人の娘シノブさんをめとっておられると思う。私はこのシノブさん父子にはロンドンでお目にかかったことがある。昨年の春ごろのことだから、もう一年半の昔になるが、当時シノブさん父子には影の形にそう如くに常に一人の青年が一しょであった。外務省の俊英で、久世隆光という前途有望な外交官だ。こう云えば御存知であろうが、大伴家の重臣、久世喜善の長子がこの隆光です。須和康人は鉱山業の視察のために娘をつれて渡欧したのだそうだが、ちょうど休暇中の久世隆光が通訳がてら案内に立ってやったというのも、シノブさんの色香にひかれてのことだというが、須和が娘をつれて外遊したのも、娘の色香でいろいろの便宜を当てにしての算用らしいな。とにかく、隆光君とシノブさんとの交
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