せぬ」
葉子の兄、平戸一成の声であった。主人は相手の語気をそらして、うすとぼけて、
「ほう。師も、先生も、とは何事じゃ。師と先生と二人いるかな」
「師は島田幾之進先生。先生とおよび致すは島田三次郎どのです」
「あの化け者が何芸を教えおる」
「諸芸に神技を会得しておられます。弓をとれは飛ぶ矢を射落し、杖を握れば一時に百杖の閃く如く先生の姿を認めるヒマもありませぬ。短銃を握れば六発が一ツの孔を射ぬきます」
こればかりは主人も初耳であったらしい。しばらくは言葉に窮していた。
「島田も化け物も所望しないと云うのだな」
主人の声は噛んで吐きすてるようだった。一成はうなずいて、
「左様です。父の意志ではありませぬ。葉子が自ら所望しました。先生の不具の身にいささか憐れみの志をたてたのは滑稽ですが、その志に濁りや曇りはありませぬ。葉子の覚悟は一途です。至純です」
「ようし。さがれ。それがその方らの本心か。大狸に化かされるな。今に目のさめる時がくるぞ」
二人の若者はそれには答えなかった。ただ鄭重《ていちょう》に会釈して、静かに退去した。ローソクのゆれる火影に、主人の顔が一ツ残った。まるで気の狂っ
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