ていた。ですから、犯人が血をさえぎった反対側は、被害者の背中の側だと考えたのです。ところが被害者の一人はクビの動脈もきられているし、一人は横にくの字に折れています。背後にも血がとぶべきであった。すると、そのとき、その壁は開いていたのだ。まさしく、それに相違ない。有りうるが故に、起るのだ。加害者は壁があいて、被害者のもぐりこむのを、待ち伏せていたのです」
 翌朝、新門の辰五郎の乾分《こぶん》に応援をたのんで縁の下へもぐってもらうと、彼は難なく、その石の壁をあけてしまった。
 その新居を造ったのが七宝寺のお抱え職人ベク助であったことも判明した。
 そこまでは分ったけれども、それから先は完全に糸が切れているようなものだ。
 酔い痴れた一座の人々の動静は誰にも明確な記憶がない。しかし恐らく犯人は外来者、平戸久作と門弟たちでは有り得ないであろう。なぜなら、彼らが血まみれの衣裳を始末することは不可能だからだ。だが、一応自宅へ戻って始末をつけ着代えてきても、怪しみをうけない道理もあった。諸人が酔い痴れていたからである。
 新十郎はふッつり人と往来をたち、日ごとに人知れず他出した。そのようなときに、彼は何事も語らないから、他出の目的は分らないが、彼が憑かれたように熱中していることだけは確かであった。
「紳士探偵もボケたなア。犯人は島田三次郎。三尺足らずの小人で武芸達者なら、これにきまったものだ。オレが真犯人をあげても良いが、せっかく売りだした紳士探偵の顔をつぶすのも気の毒だなア。ハッハッハア」
 と虎之介は大きな両腕でヘコ帯の前を抑え、肩をゆすって呵々大笑した。
 花廼屋はブッとふきだして、
「相変らずの石頭だなア。尊公は。三次郎が盗ッ人を殺すワケがあるかえ。当身《あてみ》で倒す腕もある。まして祝言の当夜だぜ。石頭には人の心が解けないなア。人の心には曰くインネン故事来歴があって、右が左にはならないものだぜ。ちとオレの小説を学ぶがいいや」
「ハッハッハ。貴公の犯人は誰だえ」
「まだハッキリとは云えないが、とにかく、これは女だなア。お家の大事と思い乱れて逆上する。女の心てえものが、この謎をといてくれるな」
 虎之介はゲゲッとふきだすと腹を抑えて、しばらくバカ笑いがとまらなかった。

          ★

 島田幾之進とは何者か。平戸久作との関係は? 新十郎は石橋をたたくように一ツ一ツ調べつづけた。
 しかし、結局、島田幾之進が何者であるか、ついに新十郎も突きとめることができないのだ。
 巷説によれば、馬賊の頭目であり、海賊の親分であるとも云う。そして、この道場へ住みつく時には革の行嚢に金の延棒を百三十本ほどつめこんでぶらさげて来たという。もとより真疑のほどは明らかでないが、その金の延棒がなかったことは家探しの結果明らかであるが、巷説を信じて坊主父子が麻の袋をぶらさげて盗みに入ったと見ることはできる。
 しかし、ベク助に抜け道の細工をやらせるほどの計画を立てるからには、もっと確かな見込みがあってのことではなかろうか。すると、家探しの結果、見落している場所が有りうるであろうか。
 新十郎は平戸久作と大坪彦次郎の関係、葉子と鉄馬の破談のテンマツや、新しい結婚のテンマツなどは、辛うじてこれを明らかに知ることができた。
 彼が最後に会ったのは、お吉であった。
「お前が婚礼の晩、耳にきいたことを話してごらん。何か特別なことがなかったかね」
「そうですねえ。私はお祝いにあがりましたが、お手伝いもできないから、ボンヤリ坐って、オヒラキになるのを待っていただけですよ。オヒラキのあとで残り物の酒肴をいただいて酩酊しましてからはよく覚えがありませんが、金三さんもお紺さんもオシのことで、酔っぱらうと、ワアワア唸るのがうるさくてねえ」
「オヒラキになったのは何時ごろだね」
「八時ごろだとか皆さんが言っていました。私が酔っぱらって、うたたねして、起きてウチへ帰ったのが十二時ごろですが、そのときは金三さんもお紺さんも銘々の部屋で大イビキでねむっていました。オシのくせに、二人はひどい大イビキでねえ」
「その晩お風呂はあったろうね」
「それは祝言ですから、お風呂をたかないはずはありませんねえ。けど、私はお風呂はいただきません」
「酒宴の最中に風呂にはいった物音をきかなかったかね」
「お風呂は道場の方についていて、台所から離れているから、物音なんぞきこえません」
「お料理を作っていたのはお紺かい」
「いえ。料理屋の仕出しですが、お手製のものはサチコさまが主に指図してお作りになっていたようですよ」
「お前は山本定信さんのお邸にも出入りするそうだね」
「ええ。時々もみ療治にあがります」
「お前は大工のベク助を知っているかえ」
「ええ。そういう人が居たてえことは聞いてましたが、ツンボ
前へ 次へ
全8ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング