血で真ッ赤だから大問題になった。里へとびだしてから自分の牛小屋へつくまで人やケダモノに怪我をさせていないから、血を浴びたのは山の奥だ。ナガレ目の姿が見えないから、牛に殺されているのかも知れない。飼い牛に殺されることは田舎に時々あることだ。ナガレ目はアダ名のように子供の時から目がただれてヤニがたまって流れているように見える。実に汚らしくて、子供の時から、人々にイヤがられ、あざけられて育った。そのためにヒネクレて、人にも無愛想であるし、おそらく牛にもジャケンであろう。そこで村人はナガレ目が自分の牛に殺されたものと結論して、大勢の者を呼びあつめて、ベンケイのでてきたあとを逆に山中へたどって行った。ところが誰も通わぬ筈のヒノキの谷の方向に踏みならされた自然の小道があって、ヒノキの谷までつづいており、そこに一人の屍体を発見した。また逃げようとする人影を認めて捕えると、それはナガレ目であった。屍体は誰だか分らなかった。
「オレは何も知らんぞ」
と、ナガレ目は言い張った。
屍体は牛の角に二度突き刺されて殺されたらしい。ほかに傷はないから、犯人は牛であるらしい。ナガレ目は牛をつないだ所から遠く離れて木を伐っていた。仕事中は、突然人が来ても分らぬ場所に牛を隠してつないでおく。彼は深夜山中に入り、日中働いて深夜帰る。そういう秘密の生活を一年ちかくつづけていたが、村で唯一人の炭焼きを副業にしていたから、不規則な生活も人に怪しまれることがなかった。
菅谷巡査も捜査隊に加わっていたから、本署の手にうつる前にフシギな屍体を改めた。
妙なことにはガマ六と同じように、これもゾロリとした着流しにワラジをはいている。またガマ六と同じように所持品が一ツも見当らない。目玉は二ツともチャンと顔についているが右の腕が肩もヒジも骨折している。牛と格闘したのであろう。二ツの角で二度つかれたから四ツの突かれた傷があるが、その傷は胸から腹まで四ヶ所、正面から突かれているが、上下に四ツ並んでいる。
直立の姿勢で牛に突かれれば胸や腹に二ツずつ平行した傷がつく筈である。タテに四ツ並んでいるのは、横に倒れたところを突き刺されたことを示している。腹部の二ツは角の根本まで深くやられて、えぐられた後に角に突きあげ振りまわしてはねられたらしく、傷口は四方にちぎれて大きな口をひらき、ハラワタがとびだしていた。
「牛に追われて逃げそこなって倒れたところを突かれたのに相違ない。だが、妙だなア。正面から突かれているのに、まるで背中から突き伏せられたように、口が土をかんでるじゃないか。鼻の中まで土がついているぞ。突かれたあとで、ころげまわって、もがいて死んだのかも知れない。しかし、手は土を握っていないな。見れば相当な身ナリだが、どうしてこの山中へ来たのだろう?」
菅谷巡査はこう怪しんだが、牛が犯人ときまれば、問題はナガレ目のアルバイトの方だ。徳川時代には死刑になった者もあるという人も怖れるアルバイトを自分の駐在する村の者がやっておって、それを自分が気附かなかったというのが、面白くない。
ところが屍体の身元が分ってみると意外である。小田原の者であるばかりか、ガマ六と同じ町内の者だ。ガマ六の遊女屋と筋向いの「花房の湯」の主人、雨坊主というアダ名のあまり良からぬ人物の一人であった。
彼の銭湯には湯女《ゆな》がいる。土地柄に名をかりて、巧みに手を廻して湯女の営業を公然とやっている。一方に建築請負業もやっているし、漁船も持っている。ガマ六のように腕力に物を云わせるヤクザではないが、どこに秘訣があるのか、雨坊主の政治力にはガマ六がいつも煮え湯をのまされる。とても成功の道はないと思われることを、雨坊主はさしたることもないらしく実現する力があって、いわばガマ六の怖るべき商売仇であった。
ガマ六が美女を探して歩くのも、雨坊主に対抗しうる唯一つの策がそれだけだからで、これだけは政治力があっても、学問があっても、それとこれでは勝負にならぬ。要するに本当の勝負はここできまる。むろん、それぐらいのことは、雨坊主は誰より先に知っているから、サガミ山中を歩くのはガマ六だけではない。彼は建築請負業としては別荘造りが専門で、推古から現代に至る木造建築に秘密というものはない、自分はそのあらゆる様式を再現する能力があると宣伝している。自分の作は他日国宝になるものだ、というのが彼の口癖であったというが、その実は、彼は建築について完全に無学であった。筋も根拠もないことを言いまくるが、彼のコツは相手を見くびって何物も怖れぬということで、素人相手の談議だから、それで通用して、むしろ高く評価されていたそうだ。私が小田原にいたころは彼の仕事をした棟梁(そのころは小僧だ)が生きていて、一パイ飲み屋で問いもせぬのに時々昔話をきかされたものだ。
そういうわけで、雨坊主が丹沢山中へ赴く理由は、建築業からも、湯女業からも筋は立っていた。
ところが、ヤッカイ千万なことには、ナガレ目がタダモノではないということだ。変質者というのであろう。それも利巧すぎての変質者と異って、バカの上に変質者だから、彼がどういう不安や心配があって何を策謀しているか、その筋が普通人に分らない。
ナガレ目の曰く、オレは死んでいた雨坊主というヤツは今まで一度も見たことがないヤツだ、と云うのである。こういうことを云えば、不利である。それならば誰のために木を伐っていたか。誰かのために伐っていた証拠にはその材木が彼の家にも炭焼き小屋にもないではないか。こう改めて余計なことを追求されなければならない。
ところがナガレ目は平気なもので、前の取調べには一年前から時々伐っていたと云ったくせに、そんなことは眼中にないらしく、あの日はじめて伐りにでかけたのだ、と平然と云う。前に一年前からと云ったではないかと問いつめられても、奴めは全然問いつめられた様子がなくて、そんなことは言わないな、と云う。
しかし、一年前から伐っていた証拠はあの密林をしらべればハッキリ分ることで、ちょうどそれぐらい伐られた跡がある。こう証拠をつきつけられても、彼はいささかもたじろがず、オレはあの日一日伐っただけだから、それでは、それはオタツだろう、オレはオタツが牛でもヘタバるような大きな材木をかついで行くのを何べんも見たことがあると証言した。どこで見たか。あの谷で見た。あの谷で何べんも見たか。何べんも見た。たった一日しかあの谷へ行かない筈のお前がどうして何べんも見ることができたか。木を伐ったのは一日だけだが、オタツを見たのは何べんも見た。こういう応答だからラチはあかない。そこでオタツが逮捕された。オタツが現代の人間なら、下曾我に埋もれている筈はない。ジャーナリズムが彼女を当代の名士の一人に祭りあげない筈はないのである。相撲とりでも片手に一俵ずつ、四斗俵二ツぶらさげて土俵を三べんまわることができるのは少いそうだ。オタツはその上、口に一俵くわえることができる。そのほかにも持つ方法があれば、もう一俵ぐらいは持てるだろう。背負う力は限りを知らず、と伝えられている。
逮捕されて取調べられたオタツは、事実無根を言い張ったが、ナガレ目が彼女に不利な証言をしたことを知ると、顔がカッと真ッ赤になり、ムクムクとふくらみ、眉がつりあがって、目玉が石になって、鼻の孔がにわかに二ツの奥の知れない大きなトンネルができたように思われた。米を炊く泡がみるみる盛りあがるように肩が天井にふくれそびえたが、そのとき大きな鷲が二ツの翼をユーレイの両手のように前の方へそろえてワッとひろげた。そう見えたのは着物の下のことではあるが二ツのお乳が髪の毛を束ねて逆立てたようにフワッとふくれて逆立ったのだそうだね。そのときは署長も探偵も呼吸がつまっで死ぬところだったという。しかし、この時はまだ穏かな方であった。ナガレ目はヌラリクラリとラチがあかないが、オタツは断々乎として無実を主張してゆずらないから、二人を会わせた。このときこそは大変であった。
オタツの全身が無限にふくれて、とどまるところがないように見えたが、その一瞬にナメクジよりもノロマなナガレ目が電流の如くに術を使ったという。人々の目は(彼らはタンテイである)如実に認めることができなかったが、オタツのフクラミがとまらぬうちにナガレ目の姿は署長の後に隠れていたのだそうだ。彼は署長の両肩に手をかけてそッと首をだして、
「オレは何も言わないよ」
オタツは益々怒って息をととのえるために苦しみ、頭や額の汗が下方へ流れずに四方へ傘状にとび散った。それは胸から顔へと押しあげる恐ろしいボーチョウの力によるものだということである。
「オレがいつ山の木を伐ったか。お前はそれをいつ見たか」
オタツは唸った。オタツは雄弁ではないから、それを補うためにナガレ目をワシづかみにする必要があったが、それが出来ないので、益々不自由のようであった。
「オレは見たよ」
ナガレ目は落ちつき払っていた。しかし言葉はそれだけであった。
「いつ見たか」
「見たよ」
「お前はオレに伐った木を運んでくれと頼んだろう。オレが運んだのは、お前が伐った木だ」
「お前が運んだからお前が伐った木だ」
「この野郎。ウソツキめ!」
二人の口論はこれ以上に発展しない。同じことをくりかえすだけだ。ナガレ目はオタツとの口論に限って冷静そのものの様子になったが、オタツは亢奮して言葉を失ってしまう。ナガレ目の言葉はこの口論に限って論証的であった。お前が運んだから[#「から」に傍点]お前が伐った木だと云う。この時に限って論証的であるのは、事実無根のことを屁理窟で言いくるめているように一応は考えられる。常識的にはそう考えられるが、そう目安《メヤス》が彼に当てはまるかどうかも疑問であった。
オタツとナガレ目がはげしい論争をくりかえして、論争の結果は必ずしもオタツに有利でないことをきいて、オタツの亭主のカモ七が菅谷巡査につれられて警察へ陳情にきた。カモ七を見ると探偵たちは異様の感にうたれた。カモ七の目は流れていなかったが、顔全体が流れているようなものだった。どこにもシマリがない。何かが留守でなければ、こんな顔にはならないだろう。ところが一ツだけ目ざましく雄大で生気があるのは二ツの耳であった。カモ七の頭の中央がピョコンと尖っていなければ、頭と耳の高さが同じぐらいであろう。その幅もカシワモチが包めるぐらい広かったが、しかしウスッペラではなくて人目にふれずに見事に天寿を全うしたキノコのように肉ヅキがふくよかであった。この耳を育てるためにうまれてきたように見え、彼の全体が鉢植えのキノコ、たしかに植物のように見えた。
カモ七は一同にオジギすることを忘れていた。彼が警察へきたとき、ちょうどオタツとナガレ目の第何回目かの対決中であったから、彼はのぼせて、道々言い含められたことを忘れたのかも知れない。菅谷巡査にこづかれると、彼は切なそうに、
「オタツ、やせたなア」
と涙ぐましい声をふりしぼった。それは何物も思い出せなかった代りに、あまりの切ない現実に目をうたれた真情をあらわしていたが、誰の目にもオタツのやせた様子は認められないので、タンテイたちはギョッとして、これから、どうなることかと思った。
けれどもカモ七は見かけは留守のようであるが、実に驚くべき雄弁であった。
「オタツのウチがマンナカで、オレのウチとクサレ目のウチがアッチとコッチにありました」
と、手で地図を説明するように器用にふりながら、誰の存在もそう大して気にかからないように、彼は演説しはじめた。クサレ目というのはナガレ目の他の表現だが、クサレ目の方がきびしいらしく当人がテキメンに立腹するから、彼を侮辱するために呼びかける時はクサレ目を用いるのが普通であった。
「オレが十一のときオタツが九ツで二人は夫婦の約束をしましたが、クサレ目はオタツに惚れてヨメになってくれとたのんだがクサレ目はキライだからとことわられました。そのときからクサレ目はオタツにもクサレ目をうつしてやろうとオタツの通りかかるのを隠れて狙ってい
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