た。胸騒ぎがするほど亢奮してしまった。これだ! 空をとび姿を消す魔法の代用品とは、まさに、これだ。夜のヤミを利用するほかに、姿を消す代用品があるだろうか。あるかも知れないと新十郎は云った。まさに、あったのだ。寺へ行く人と見せかけていたのである。ゾロリとした着流しのナゾもそこにあったらしい、と考えた。ところが菅谷の考えを知らぬ坊さんは言葉をつづけて、
「しかし、この裏を登って、どこへ行くのですかねえ。一尺ぐらいの細い道があるにはあるが、ものの十丁も行くと消えてなくなる。以前はそこに炭炊き小屋があったが」
菅谷はとび上るほどおどろいた。そうだ。むかしナガレ目の炭焼きカマドはここにあったことがある。そう古い話ではない。二年ぐらい前まではここで炭をやいていた。彼は息をはずませてしまった。
「その小屋はいつごろまでありましたか」
「さア。その後のことは知りませんが、炭焼きが他へ移って二三年になるから、小屋はもうないと思うが」
菅谷は寺をでると、さっそく裏の山へ登った。倒れそうな小さな小屋が、今も残っているではないか。炭焼きの場所を移せば、小屋もそっちへ移しそうなものだが、他へ移さないとすれば、ほかに小屋をつくる材料が豊富にあってのことか、小屋を残す必要があってのことだ。小屋の中をあけてみると、二畳もない小屋の中にムシロがしかれ、片隅に余分のムシロをまいたものがつまれているだけで他に何もないが、ふと隅を見るとちょッと気のつかぬ暗がりにキセル入れの筒とタバコ入れがある。手にとると、非常に高価な品のようだ。金の模様の銀ギセルがそッくり入れたままだ。筒に名が彫られておって、大内とある。それはガマ六の姓だ。つまれているムシロをどけてみると、別に何も隠されていない。荒ナワだのはき古したワラジなどが何足かすててあっただけだ。いずれも炭焼きの用いたムシロであるから炭だらけだが、その黒いのをよく見ると、黒いのは炭のせいだけではない。どうも古い血のようだ。菅谷はおどろいて、ムシロを一枚一枚ひろげてみた。しかれているムシロの上の方の三ツのタバはキレイだが、他の二枚はボロボロで、その黒いのは血のようであった。荒ナワにも血のしみついたのがあった。
菅谷はそッと元通りにしてタバコ道具と血のムシロとナワだけ持ち帰ったが、その翌日ナガレ目を訪ねた。しかし、いくら問いつめようと試みてもムダであった。知ら
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