家の財産は久吉のもの、つまりオレの物だ。老いぼれ狸は白ッぱくれて当家の財産はこの一万円だけだなどと云っているが、オレは昔この目で見て知っている。もっと大財産がある筈だし、爪で火をともすようなケチンボーがその財産を一文たりとも減らしている筈はない。老いぼれが死んでみれば分ることだが、とにかく、常友の奴が水野の戸籍の人間になる前に万が一にしてしまえばいいわけだ。なに、オレの実子だなどと笑わせるな。オレはあんなバカな子供を生んだ覚えはないな。こッちがわが子とは思わないのに、わが子と称する怪物は尚のこと万が一にした方が清々としてよろしいようなものだ。
 志道軒はこう考える。酒の酔いにつれて益々殺意がたかぶるにきまっている。
 左近は一万円と久吉をつれて自分の部屋へひきこもる。四名の男と一名の女が酔っ払って一室にのこる。この夜、この機会を失えば、実の兄弟、父子といえども、再び一室に宿泊するはおろかなこと、たまたま同席するたった十分間の機会があるかどうかも疑わしい。
 左近は夢中にのびあがって倉三の耳に益々口を近づけて、手の障子をかたく張りまわして、
「ナマズと出前持は八千円のことで酔えば酔うほど気が気じゃないぞ。その八千円はナマズのフトコロにあるが、明朝までには出前持に七千八百五十円貸すか貸さぬかきめなければならんな。出前持はその金を借りなければ牢屋へ入れられるからこれは一生の大事だからな。ミネにしてみれば、二人の子供のどちらにもいいようにしてやりたいが、自分がその金を盗んだフリをして井戸へでも飛びこむかなア。タイコモチと女郎屋を殺してしまえば、二人の子供によいかも知れんが、久吉がオレと一しょに別室にいては一度にカタがつかなくてこまる。タイコモチは自分の倅の女郎屋を万が一にしてしまえばオレのものだと思いつのる一方だから頭に血がのぼって心臓が早鐘をうつようになる。そのとき」
 左近はまた、たまりかねてクツクツ忍び笑いをしはじめた。さすがの倉三もここに至って、まさにミイラになったように怖しさに身動きができなくなってしまった。
 左近は己れに最も血の近い五名の骨肉が盗み、殺し、自殺する動機をつくり機会を与えて、それを見物し、結果いかんと全身亢奮に狂っているのだ。人でもなければ、鬼も遠く及ばない。彼はもはや最も親しい者どもが血で血を洗い、慾に狂い、憎しみにもえて、殺し合うのを見て酔うほかには生きる目的がないのであろう。
 左近はようやく忍び笑いを噛み殺して、
「そのとき、な。オレが、なにか、やる。一ツのキッカケをな」
 彼はまた、たまりかねて忍び笑い、それを噛み殺すために幾条もの涙の流れをアゴの下まで長くたらした。
 彼はもう言わなくとも分るだろうというように、いかにも、さもあるべしというかの如くに、いくつとなく、うなずいた。
「な。面白いことになるぞ。これは、誰にも云うな。見たかったら、お前も夜中に窓の外へ忍んでこい。その音がきこえるだけでも、おもしろいぞ」
 そうささやいて、自分の口に指を当てて、沈黙を命じ、手ぶりで去れと命じたのである。それが明晩、水野家に於て起る予定の出来事であった。
 倉三は語り終って、酔いもさめ、ぐったり疲れきってしまった。
「怖しくって誰にも打ちあける勇気がありませんでしたが、はじめてあなたに打ち開けて、自分でもこんなことを物語っているだけでも夢を見ているようでさア。私はとても窓の外へ忍んでくるほどの度胸はありませんが、大原の旦那、明晩はとにかくタダじゃアすみませんぜ」
 草雪も聞き終って、しばしは呆然と口をつぐんでいるのみであった。ようやく、ホッと息をついたが、このようなケタの外れた話については、きいたり、語ったりすることが見当らなかった。
「お前さんは常友さんの吉原の貸座敷とやらへ落着くのじゃないのかね」
「とんでもない。お清はとにかく、私はアイツの子供の時から、親のようにしてやったことは一度もありませんので」
 云い終ってから倉三は、思いだしたようにちょッと頭をかいて、
「実は野郎が嫁をもらって女郎屋をやるときに、私と野郎の親子の縁は――戸籍の上のことではありませんが、旦那の前で起請をとって、フッツリ手を切るようにさせられましたようなわけで。ヘッヘッヘ」
 倉三の最後の笑いは、なんとなく未練がましくひびいた。

          ★

 翌朝、倉三は帰国の旅についた。
 そのあとで、水野家へどのような人が訪ねてきたか、物好きの草雪も一日見張りをつづけるほどの根気があるわけではないから、来客の姿を目で見たものはなかったのである。
 なるほど夜になってから数名の声がきこえはじめたのは、酒宴のせいらしい。ケチンボーの左近はランプもローソクも用いずに、いまだにアンドンを使っていた。
 酒宴は長くつづいて、いつまでもキリがなく人声がきこえてくるが話の内容は分らないし、果して酒宴の人声であるか、口論だか交驩《こうかん》だか、そういうこともシカとは見当がつけられない。酔っ払って唄をうたうようなのは一度もきこえなかったが、酒宴の事情が事情だから、唄のないのが自然であろう。もっとも、志道軒ムラクモというその道の専門家がいるから、この人物は親父の死に目やムシ歯の痛む最中でも唄って唄えない仁ではなかろう。左近の声だけは一度もきこえないが、地声が低いからきこえないのが当然だった。
 隣家にあまり険悪な様子もないので、早寝の草雪は自然にねむくなって、いつのまにやらねむりこんで、翌朝、太陽が高くあがるまで目がさめなかった。
 おそい朝食をすまして、ゆっくりお茶をのんでいると、着流しの平賀房次郎が窓の外からヌッと顔をさしこんで、
「相変らず早寝の朝寝のようですなア。ゆうべは珍らしく隣家に多勢の来客があって、おそくまで賑かでしたが、どうも、それで、ちょっと気になることがあってなア」
 草雪はハッとして、
「エ? 気になることがありましたか。それは、いつごろのことで」
「イエ、今のことですよ。三日前から馬丁の倉三君の奉公が終ったとかで、早起きの老人が早朝から馬にカイバをやって、馬小屋の世話を念入りに見ていたものですが、今日はまだ誰も馬の世話をしてやった者がない。馬が腹をすかして羽目板を蹴っているが、早起きでキチョウメンの老人がどうしたのやら。多勢の来客も泊ったようだが、誰か起きてきそうなものですがなア」
 午後になっても誰も起きてくる者がない。妙だというので、二人の隣人が警察へ知らせて、警官とともに、中へはいろうとすると、勝手口も、居間の潜り戸も内からカギやカンヌキがかかっているらしく、外からはあけられない。窓をしらべても、頑丈な格子がはまっている上に雨戸も堅く閉じられていて、猿や猫でも出入できるような隙間がなかった。ようやく勝手口をこじあけて中へはいると、実にサンタンたるものである。
 台所の次の部屋にはミネがノドを突いて血の海へうつぶしてことぎれている。ヒザをシッカとヒモでむすび、自らノドを突いた覚悟の自殺のようであった。
 さて、この部屋につゞいて左近の専用室が二つあるそうだが、出入口は一ヶ所幅三尺、高さが六尺の厚い板戸によって仕切られている。この一枚の板戸以外は厚い壁になっていた。板戸は左近の側から左右にカンヌキがかかるようになっている。しかし、そのカンヌキはかゝっておらず、開けることができた。
 戸口にちかいところに、左近が妙なカッコウにゆがみながら俯伏して死んでいた。背後から左近の背のほゞ中央を突いた小太刀が、ほとんどツバの附け根まで指しこまれ、肝臓の下部のあたりを突きぬいて一尺ほども刀の尖がとびだしていた。
 左近の屍体の近所には、フシギにも、八本の刀のサヤと七本の刀身がちらかっているが、いずれも刀身はサヤから抜き放れて別になって散らかっており、サヤが一本多いのは、刀身の一本が左近の身体にさしこまれているせいであった。
 その奥の部屋には、二ツの寝床がしかれていた。
 ミネが死んでいる部屋は全てがキレイに片づけられて、整頓されており、多数の人が泊ったあとは見られない。寝床は左近の奥の部屋に二ツしかれているだけだ。枕も各々に一ツずつ。どちらも一度は人がねたらしい形跡があった。
「おそくまで多勢の話声がしていたが。あの時刻から帰宅できるとすれば、近所に住む人々に限るようだが」
「多勢の客がいた跡がないのはフシギだね」
 と、昨夜の意外な来客の様子が特に深く印象されている二人の隣人がいぶかりながら台所を通って出ようとすると、――あった。おびただしい食器類がタライの中にゴチャ/\つめこんであり、その中にはこのウチでふだん用のない筈のカン徳利もタクサンある。そして台所の片隅に一升徳利が三本もあった。
 場所が近いので、結城新十郎は古田巡査の迎えに応じて直ちに出動した。
 新十郎がビックリしたのは、抜身の刀が左近の屍体の附近にしこたま散らかっていることだった。散らかっている抜身のどの一ツにも新しい血の跡はなかった。新十郎は左近の部屋と、ミネの死んでいた隣室との唯一の通路たる厚い板戸をしらべ、板戸の左右、三尺ほどの高さにあるカンヌキをしらべ、そのほかに、左近の屍体のあたりの壁の上方に欄間があって、二寸角もあるようなガンコな格子がはまっているのに注意したが、その格子に手をかけて揺さぶると、それはシッカリはまっていて、一度も取り外されたような形跡は見られなかった。
 そのとき、そッと顔をだしたのは大原草雪である。彼はキマリわるそうに、
「一寸《ちょっと》お知らせしたいことがあるんですが」
 と新十郎に挨拶して、倉三からきいた左近のフシギな実験についての計画を物語ったのである。ここに於て局面は一変し、当日の出席者たる志道軒、常友、正司、幸平、ならびに久吉も呼ばれて各々別室に留置され、また、いったん小田原在の生国へ立ち戻った倉三も呼びだされた。彼は事件のあった日の夕刻、まちがいなく生国へ戻っており、その夜のアリバイはハッキリしていた。彼の無罪は明らかになったが、その証言が重大であるために、彼は最も鄭重《ていちょう》な扱いをうけて警察に宿泊することとなったのである。
 ところが、こんな奇妙な事実はあるものではない。倉三の証言によって、当日水野の家に参集した筈の人物は全部個別的に取調べをうけたが、彼らの全ては、当日たしかに水野家へ参集したことをアッサリ認めたばかりでなく、酒宴となって夜更けまで酒をのんだこと、左近と久吉がその専用室へ立ち去って、そのとき厚い板戸は左近の手で閉じられて直ちに内側からカンヌキをかける音がハッキリきこえたこと、とりのこされた四名の男とミネは各自ミネに手伝って部屋の食事を片づけて、終ってミネが部屋を掃きだしてから五名の寝床をしいたこと、板前の職人だった常友が甚だ熱心に食器洗い等に立ち働いて甚だしくミネの感謝をかい、出前持の幸平はそれが目下の本職であるにも拘らず手伝いに加わらないので、
「だから、お前は……」
 と、ミネに云われた。その言葉の終りは聞きとれなかったが、すると幸平はいきなり手の近くにあった皿をとって台所の方へ投げつけた。それは台所に接する壁にぶつかって割れたが、それまで幸平と同じように手伝うことを怠っていた正司は、それにハッとして立ち上ったが、にわかに台所へ歩いていって、然し皿洗いに働く常友や食器の運搬に立ち働く志道軒には目もくれず、一升徳利のところへマッシグラにすすんで、それを両手に持ち上げてラッパ飲みにしはじめた。
 倉三が左近から打ちあけられた話であるが、常友の持参した八千円と志道軒の持参した一万円を予定通りの方法で予定の人に授与したのは事実で、相続者としては常友が正当な嫡流であり、ただし水野家の籍に直るまで一万円は次の相続者たる久吉に預けてその身柄を左近が預る、ということも、実際そのように左近の指定発言が行われたのであった。
 一同は後を片づけてから寝床をしいて眠った。特にねる場所に注意したのはミネで、彼女は正司と幸平の中間に場所をしめ、二人の実子に己れの左右にねむることを指定した。その注意
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