いう出入りの菓子屋へデッチ奉公にやってしまった。
「御大身の若様を手前どものデッチなどとは、とても」
 と玉屋は拝まんばかりに辞退したが、
「大身などと昔のことだ。主家を失えば路頭に迷う犬畜生同然、道に落ちた芋の皮も拾って食わねばならん。恥も外聞も云うていられん。せめて子供には手に職をつけて麦飯ぐらいは食えるようにしてやりたいから、よろしくたのむ」
 と、菓子屋の小僧に住みこませてしまった。次のリツという八ツの娘は子供のないお寺の坊主に養女にやる。ミネは悲歎にくれて、養子養女にやるならせめて同じ旗本のとこへと頼んだが、左近は怖しい剣幕で、
「旗本というのはみんなオレ同様、野良犬だ。坊主や菓子屋は白米もヨーカンもたべられる。貴様も米の飯がたべたいなら、オレのウチにいるな」
 しかし、ミネもそのときは必死であった。自分の実兄、月村信祐に子がなかったから、左近に懇願して、次男の幸平を月村の養子にすることができた。そのとき左近は月村の前で、
「どうせ貴公も道におちた芋の皮を食うようになるだろう。芋の皮を食うようになっても、野良犬に親類はないから、どっちの軒先にも立ち寄らんことにしよう」
 月村が顔色を変えると、
「野良犬が道で会って挨拶するのはおかしいが、せめて噛み合わんようにしたまえ」
 と言いすてて、さッさとその場を去った。奉公人にもヒマをやって、残ったのは倉三、お清の夫婦とその一子常友であった。
 常友はお清の子だが、父は倉三ではなかった。左近にはミネの前に死んだ先妻があった。先妻には一男一女があったが、その長男が女中のお清に孕ませたのが常友で、それを知ると、左近はお清を馬丁の倉三と一しょにさせ長男を勘当して大阪へ追放した。というのは、左近はそのころ船舶通運を支配するような職にあったが、大阪の船問屋が事故を起して彼の取調べをうけていた。左近はその船問屋を懲罰釈放するに当って、オレの勘当した倅《せがれ》を大阪へ連れて行って、町人にしてしまえ。もうオレの倅ではないから大事にするには及ばんが、自分で働いて食えるように取りはからえ、と放りだしてしまったのである。この倅は大阪へ住んでから幕府が瓦解するまでの十年間は、親の威光があるから遊んで暮して遊里に通じ遊芸を身につけ、維新後は東京へ戻って幇間《ほうかん》となり、志道軒ムラクモと号している。
 常友の父はムラクモだ。左近の孫で
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