つのせてやって、
「もう午ぢかいから、食事どきには早く帰るのが礼儀だね。礼儀をわきまえてなければ益々路頭に迷う」
路頭に迷ったわが子に一食を与えることも許さない。
「菓子屋を一軒ずつ廻って歩けば使ってくれるとこがあるはずだ。それをせずにここへくるのが心得ちがい。主家が没落したにせよ三食や四食のゼニぐらいは貰ったはずだろう」
とミネの涙ながらの懇願にも全くとりあわなかった。
なるほどそれで理窟は通っているようだ。正司は彼が云うように一軒ずつ菓子屋を廻って歩いて、玉屋の主人の口添えもあって、就職することができた。しかし子飼いからの店ではないから、居づらい事情が多くて、店から店へ転々として、三十にもなりながらまだ住みこみの一介の平職人。妻帯する資力もない。
ミネの兄、月村信祐の養子となった幸平は、多少の学問もさせてもらって、銀行員となった。資本金三十万円ほどの小さな国立銀行であるが、はからずも彼は、そこに実父左近の預金が一万七千余円あることを知った。当時としては相当の大金と云わなければならない。
ところが左近の預金は他の銀行にもあった。なぜなら彼は月末になると馬に乗っていずれへか金を引き出しにでかけるが、それは幸平の銀行ではなかった。彼は極端のリンショクにも拘らず、乗馬の趣味だけは今もってつづけているが、一つには実用のために相違ない。老人の足代りに当時としては馬が一番安直だったかも知れないのである。馬丁に手綱をとらせず、一人で走り去る時は、散策もあるかも知れぬが、銀行通いのような人に知られたくない用件があってのことだ。彼はこまかい金で一ヶ月の生活費をチョッキりうけとってきて、概ねツリ銭のいらないように小ゼニを渡して買物を命じた。しかし、左近は幸平の銀行へ現れたことはなかったのである。
幸平の養父母は他界して、彼が一人のこされたが、十七の若年から銀行員となった彼は二十の年には一ぱし経済界の裏面に通じたような錯覚を起し、株に手をだして失敗した。すでに父母がないのを幸いに家財をもって穴をうめたが、こりるどころか益々熱をあげてひきつづいて、相当の穴をあけてしまった。そのとき万策窮して、実父の預金があることを知っているから、ミネに事情をあかして借財をたのんでもらった。
左近は自分の子供がどこで何をしているか、そんなことは気にかけたことがないから、幸平が銀行に勤めている
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