いから、益々こだわり、益々名門然、殿様然と見せたがる。だから、自分も働いてお金をもうけることをせず、木々彦がグウタラな道楽息子に育ち上るのを意に介せず、名家の子はノンビリとしたい放題、そんなものだと心得ている。そのくせ、内心は何よりお金が欲しい。一もうけしたいのだ。なぜなら、やがて文無しになるのを彼だけは充分に心得ていたからである。
金モウケといっても当てがあるわけではないから、何より残念なのは、木々彦が本家の後嗣になれなかったことだ。弟一家が本家にひきとられ、広大な別荘に起居しているのが残念でたまらない。何かにつけてその反感が言葉にでる。風守が業病にとりつかれたのは天罰だ。昔はそう言いふらしたものだが、今では、土彦の後妻に男子が生れて、もはや風守はキチガイでもないのに座敷牢へ閉じこめられている。それは後妻の子を後嗣にしようという土彦夫妻の陰謀だというようになった。ところが、ヒョウタンから駒がでるとはこのことで、これが真相をついているようなフシもあった。
それをビリビリ身にしみて感じたのは光子であった。少女の霊感と云おうか。世事にうといとはいえ、汚れなき魂の直感であった。光子には思い当ることが多かった。
去年の夏休みに光子ははじめて帰郷した。生れてはじめて邸内の隅々まで歩くことができたのである。彼女は兄の居室を見たときに叫びをあげるところであった。居間へ通じる廊下にはふとい樫の木の格子戸があって浮世の風をふさいでいるばかりでなく、風守の居室そのものが四方厚い壁や樫の木の厳重な格子戸にかこまれた座敷牢であったのである。
光子は思わず身ぶるいしたものだ。座敷牢の内部にはさすがに立派な床の間もあったし、違い棚や押入もあった。風守が育つにつれて用いたオモチャの数々がそっくりあったし、学習した書物もあった。学習の教師は英信の父の英専と、祖父直々であった。その二人のほかに近在に学のある者はいなかった。
風守の習得した書物は初歩から上京に至るまでそっくり積み残されており、風守が自ら手をいれた跡もハッキリ残っていた。彼が上京したときは今の光子と同じ十八であった筈だが、そのころ彼が学んでいた書物はとても光子の理解できない難解なもので、風守の筆跡の見事なことも驚嘆すべきものであった。コヨリでとじた何冊かの稿本があり、そこに風守の自署があって、彼の作った詩文であった。そこに朱筆が入れてあるのは祖父の手であるらしい。年月日が記してあり、十一二から上京までの作品であった。十一二の作品すらも読みこなす力は光子にはなかったが、理解しうる部分だけでも凡庸ならぬ天才が閃めいているように見うけられた。
「これがキチガイであろうか!」
光子の胸をつきあげた思いはその一事である。なるほど、テンカンというものはヒキツケを起した時のほかは異常がないということだ。さすがに本家の後嗣たる風守である。人デンカンという奇妙な業病にとりつかれても、衆に秀でた天才にめぐまれているのであろう。しかし、ヒキツケを起さぬ時には天才とも云うべき風守を常時座敷牢に閉じこめるとは何事であろうか。他の人ののぞくこともできない奥庭もあるし、他の人の踏みこめない多くの部屋もあるのに、なぜ座敷牢に入れなければならないのだろう。
「なぜ座敷牢が必要なの?」
と、光子はボダイ寺の英専に訊いたものだ。老僧は苦悶を隠してしばし沈黙していたが、思いきって答えてくれたのである。
「それはな。これをちかごろの言葉で夢遊病と申すそうな。寝たまに起きていろいろのことをおやりになる。そういう奇病がござるために牢にお入れ申したものじゃ。東京のお居間も同じことでござろう。日中の強い光がお毒じゃそうな。強い光が目に入ると心悸がたかぶって良くないそうで、格子の外には黒い幕をはりめぐらしておいたものじゃ。日中も夜のように真ッ暗で、小さな隙間からわずかの光をとり入れて用を弁じていたものじゃて。おいたわしいことじゃ」
という話であった。格子の外の黒い幕はすでに取り払われていたが、英専はそれを知らぬらしく、それも光子の目にとまったとみて打ちあけたようである。
この村の伊川良伯という漢方医が多久家と共に東京に移住していた。先祖代々多久家の侍医の家柄であるから、主家と一しょに移住したのであるが、新式の西洋医学が起り、大博士や大家の多い東京に、今もって田舎の漢方医に脈をみてもらわねばならぬ風守が気の毒に思われた。現に良伯に脈を見てもらうのは祖父と風守の覆面二人組だけであった。父も光子も文彦も新式の西洋医学の先生に診てもらっていた。光子は内科の三田先生に何気なくきいたことがあった。
「夢遊病って、悪い病気ですか」
「そうですね。ちかごろ催眠術というものがハヤッていますが、まア、自然に催眠術にかかったような状態で歩きまわるのでしょう」
「悪いことをするのでしょうか」
「どんなことをするかは各人各様でしょうが、人間が目をさましている時に行うことは、みんな行う可能性があるでしょうな」
「それは不治の病でしょうか」
「精神病というものは、たいがい不治のようですね。フーテン院へ入院するということは生涯隔離されるということらしいですな」
光子の突きとめたことは香《かん》ばしいことではなかった。そのころの精神病院は小松川にフーテン院というものがあったし、巣鴨病院があった。フーテン院は後に小松川精神病院と名を改め更に加命堂と云ったそうだ。巣鴨病院は明治十二年の創立。東京医科大学の精神病学教室は、明治十九年にドイツ帰りの榊原教授を主任に開かれたものの由である。
風守を座敷牢へ閉じこめることは納得せざるを得ないようであった。しかし、ここに納得できない一事があった。一枝の呪文に身が凍るのは、そのためなのだ。
文彦が生れてまもなく、光子は父母から言い渡されたことがあった。文彦をわが弟と思ってはいかぬと云うのである。すべて長男は家をつぐものであり、女は他家へ嫁ぐ身であるから、姉といえども長男を弟と見てはならぬ。その名を呼ぶにも文彦様と敬称しなければならぬと云うのであった。子供の時からそう躾けられて育ったから、光子は弟を文彦様とあがめてそれが不自然だとは思わぬように習慣づけられているが、他人の目からは変テコであるに相違ない。もっとも、東京の学校へ入学してから分ったが、家によっては同じような習慣のところも少くないようだ。女の子は哀れなものだ。
ところが、実の父母たる土彦も、糸路もわが子を文彦様とよぶのである。同じ分家の家柄たる水彦のところでは木々彦が長子で上がないから、姉の場合は分らないが、父の水彦がわが子を木々彦様と呼びはしない。してみれば、多久家の分家に長男を様づけにするという定まった家法があるわけではないのだろう。万事洋風をまねたがるハイカラ時代ではあったが、水彦様が特にハイカラをとりいれている様子もほかに見当らないから、父母がわが子を文彦様とあがめるのは、なんとなく異様である。光子は幼時からの習慣で、自発的にその奇怪さにこだわることはなかったが、一枝の呪文をきくと、まず思い当るのはそれであった。
彼女は毎日せつなかった。なぜなら、父母が文彦様とよぶのをきくと、ハッとせざるを得なくなったし、それは日常のことだからである。のみならず、街でよその父母がわが子を呼びすてにするのをきいても、顔があからむような、居たたまらぬ思いに駆りたてられるからであった。まして水彦が長子木々彦を呼びすてにするのをきけば、光子は卒倒しかけるかも知れないだろう。それほどこだわるようになった。
まるで天才とも言うべき風守をキチガイ扱いに座敷に閉じこめて、それが文彦に本家をつがせる父母の陰謀であるとすれば……イヤ、イヤ。そのような筈はない。文彦の生れる前から、風守は座敷牢に閉じこめられていたのである。村の風説によれば、風守が不治の病気であるために、その生母が自害したというではないか。それに、あの怖しい本家の祖父が、それを黙認しているのだ。父母の陰謀なら、あの怖しい祖父が同意を示す筈はない。祖父自身の意志でなければ、風守を座敷牢に入れることはできない筈ではないか。
そう自分に云いきかしてみても、それでハッキリ安心するというわけにはいかないのだった。どこと指摘はできないが、なんとなく秘密や陰謀が感じられてならないのだった。可哀そうな風守さま。光子は六年前の上京中の道中に稀に見かけた覆面の風守を痛ましく思いだすのであった。それは宿々の出発や到着時のカゴの出入に見かけただけであるが、覆面のみでなく長い黒マントのようなものをひきずるように身にたらして、人々に抱かれるようにしてヨタヨタと出入するのであった。なんという気の毒なお方だろう。座敷牢へ閉じこめられて黒幕にさえぎられて生活すれば、ヨタヨタするのも当然であろう。生きながら屍のような兄上。母なき人はこのように不幸であろうか。一枝の呪文が耳について離れないのだ。父母の陰謀がある筈はないと否定しながら、安心できない理由はなぜだろう。光子のうちに、光子の疑念が正しいものであったということが、どうやらハッキリしかけたのである。
★
同じ邸内に住んでいても、光子はめったに英信を見かけることはなかった。まれに本邸の会席によばれることがあると、英信はうつむいているばかりで、食事をしているのと、いないのとの相違は、手と口が動いているいないの相違にすぎなかった。
英信はすでに優秀な成績で学林の業を終り、特に師について更に深い学問を習っていたが、彼は本場の京都へ行ってもっと深く究めたいと志望している由であった。彼は長男ではなかったから寺をつぐ必要はなかった。彼は仏教の学者になって、一生研究に没入したいと思い、特に西洋へ渡って、日本ではまだ未開拓の梵語《ぼんご》やパリー語を学び、原典について究理したいと欲していたのだそうだ。しかし、思いがかなわぬせいか、彼は益々陰鬱で、彼の顔を見かけても、彼の言葉をきくことは全く有り得ないような有様であった。
ある日のこと、光子が邸内を散歩していると、藤ダナの下にボンヤリ腰を下している英信を見かけた。近づいてみると、膝に本をのせてはいるが、本は閉じられたままで、別に勉強をしているところでもないようだから、光子はふと話しかけたい気持にかられた。
「風守さまは毎日どんな風に暮していらッしゃるのでしょうね。御退屈でしょうに」
風守の暮しぶりについて好奇心を起すことは、この家の礼儀にかなうものではない。その慎むべきことを、重々承知でありながら、ふと訊かずにいられないほど、光子にとっては風守のことが重大な疑問になっていたのである。彼女は云ってしまってハッとしたが、意外にも、英信は彼に負わされた重大な義務が全く問題ではないかのようにケロリとして、
「あの方は御病気ですよ。助かる見込みはありません。遠からず、おなくなりです」
こう静かな声で答えた意外さだけでも容易ならぬ思いがあったので、彼の返事の内容については吟味がおくれたほどであった。光子はやがてビックリした。ケロリとして、なんてことを云う人だろう。彼は風守の死を予言しているが、むしろもっと残酷に、彼自身がその死を宣告しつつある地獄の使者のようにすら感じられた。
風守が大病なら、侍医の良伯が別館へつめかけそうなものだし、祖父や侍女たちの往復もヒンパンで、なにか気配がありそうなものだ。その気配がないではないか。
しかし、なんの表情もなく、声の抑揚すらもない陰鬱な彼の言葉には、ぬきさしならぬ凶事の跫音《あしおと》が不気味になりつづいているような重さがあった。光子は思わず顔色を変えて、
「御病気って、どんな?」
「そこまでは、知りません」
「遠からずおなくなりですなんて、なぜ、そう仰有《おっしゃ》るのよ」
英信は顔をそむけて、
「生者必滅は世のコトワリですよ」
と苦々しげに呟いた。
光子は思わずカッとして、
「あなたは心底からの坊さんね。世の中をそんな風にみてらして、それで御自分が偉いとでも思ってらッしゃるのね」
英信
前へ
次へ
全6ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング