文を書いたのも哀れなことだ。駒守は文彦を後嗣に立てる遺言状を残して、風守とともに世を去る時を待っていたのさ。彼がいかに風守をあわれんだかは、彼も同様の覆面を用いた心事によってよく察することができよう。英信はすべての秘密を知りつくした唯一の人物。やがて駒守が風守とともに別館に火をかけて焼け死ぬことも打ち開られていたのだろうよ。英信はその日に非ずと思っていたが、意外にも木々彦のコクリサマは真相を語っていたようだ。こういうフシギはよくあるものだぜ。目に一丁字もない男女が予言を行って狂わぬことがあるものだ。英信が別館へ立ち戻ったとき、駒守が火を放ちつつあるとこを見たのであろう。怖れおののいて、座敷へ引っ返したのさ。木々彦が行方不明になったのは、さしたることではなかろう。予言の的中におどろきのあまり、逆行性健忘症というものになったらしいや。よくあることだ。昔はこれを神隠しといったな。いまにヒョックリ戻ってくらアな」
 海舟はまたもや無心に悪血をとりはじめる。逆行性健忘症まで心得ているとは、驚き入った話。イヤハヤ、とても、かてません。虎之介がことごとく舌をまいて、八ヶ岳山麓の里人が駒守に対するように平伏してしまったのは、当然の話でありましたろう。

          ★

 虎之介が新十郎のところへ駈け戻ると、すでに花廼屋もいる。虎之介はもどかしと挨拶ぬきに、
「犯人は駒守。自ら火をかけて死んだのだ。風守は癩病。これによって哀れその母は自害。謎をとくほど哀れの至り。木々彦は逆行性神隠し。よくあることだ。いまにヒョックリ戻ってくるなアッハッハ」
 新十郎はニッコリうなずいて、
「まさしく図星です。駒守は自ら別館に火をかけて自決したのです。しかし、もう一人焼死したのは風守ではありません。木々彦でした」
「バカバカしい。そんなら風守はどこへ行ったね。風守が逆行性神隠しなどと、バカな」
「風守ははじめからこの世に存在しない人物ですよ。いつまでも後嗣をきめずにおくことは由々しい問題でありますし、そうこうすると、木々彦を後嗣にすべしというような村人の意見が高まらないとも知れません。そこで英信の母がニンシンしたのに合せて風守の母は架空のニンシンを装う。やがて実の後嗣が生れた際に非常の処置をとって風守を消滅せしめることは、はじめから企まれていたのでしょう。人デンカンと称して覆面せしめることも、架空のニンシンをはじめた時から予定していたことでしょう。ところが、架空の風守を生んだ母はウマズメでした。時日をへても真のニンシンがないので、真の後嗣を生むべき人のために自害して果てました。しかし、真実の後嗣を得たときに、いかにして架空の風守を消滅せしめるか。英信の謎の言葉はこれを言っているのです。生きているのはやさしいが、死ぬのはむずかしい、という言葉が、それです。誰か代りの屍体がなければなりません」
 そのときだった。早馬の使者が新十郎邸へとびこんできた。応対にでて、使者と話を交した新十郎は、一通の書面をたずさえて戻ってきた。
「八ヶ岳の麓から早馬の使者が英信の遺言状をたずさえて来たのです。英信は私宛の告白をのこして自害しましたよ。私が説明するよりも、告白状がすべてを語っております」
 新十郎は告白文を二人に示した。それは次のように語られていた。

 結城新十郎さま。
 私はこの事件に直接手を下した犯人ではありませんが、私の一生はこれと共に終るべき運命を負うて生れたようにも思われますので、一切のことを申上げて自決することに致します。
 多久風守と申すお方はこの世に実在したお方ではありません。まれに覆面をつけて人目に現れた風守さまは私自身でありました。早急に一応の後嗣を定めるために大殿さまが苦心の末に編みだしたカラクリでしたが、四年を経てもまことのニンシンが起らぬために、架空の後嗣風守さまの母は真の後嗣の母たるべき人のために覚悟の自害をとげられた由であります。風守さまの人デンカン、覆面、座敷牢、唯一の御相手たる私、それらはすべて大殿さまと良伯医師と私の父が合議の上で予定をたてた計略でありました。その計略が成功して、今日まで疑う者のなかったことは、御承知の通りであります。
 私が藤ダナの下で光子さまに風守さまの死期近きことを予言しましたのは、魔がさしたと申しましょうか。わが身に定まる運命を忘れて、おろかにも俗心、盲いた心の迷いでありました。いつしか多少の才にうねぼれ、西洋へ遊学させてやろうという大殿さまのお言葉を励みに、身に定められた義務を益々忠実に果すべきでありましたのに、義務をすてても遊学をいそぐ心の迷いが生じたのです。とにかく遊学するためには、風守さまをこの世から消滅せしめる義務を行う必要があります。いかにすれば消滅せしめうるか。代りの誰かを焼き殺して白骨を残
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