ょう」
「悪いことをするのでしょうか」
「どんなことをするかは各人各様でしょうが、人間が目をさましている時に行うことは、みんな行う可能性があるでしょうな」
「それは不治の病でしょうか」
「精神病というものは、たいがい不治のようですね。フーテン院へ入院するということは生涯隔離されるということらしいですな」
光子の突きとめたことは香《かん》ばしいことではなかった。そのころの精神病院は小松川にフーテン院というものがあったし、巣鴨病院があった。フーテン院は後に小松川精神病院と名を改め更に加命堂と云ったそうだ。巣鴨病院は明治十二年の創立。東京医科大学の精神病学教室は、明治十九年にドイツ帰りの榊原教授を主任に開かれたものの由である。
風守を座敷牢へ閉じこめることは納得せざるを得ないようであった。しかし、ここに納得できない一事があった。一枝の呪文に身が凍るのは、そのためなのだ。
文彦が生れてまもなく、光子は父母から言い渡されたことがあった。文彦をわが弟と思ってはいかぬと云うのである。すべて長男は家をつぐものであり、女は他家へ嫁ぐ身であるから、姉といえども長男を弟と見てはならぬ。その名を呼ぶにも文彦様と敬称しなければならぬと云うのであった。子供の時からそう躾けられて育ったから、光子は弟を文彦様とあがめてそれが不自然だとは思わぬように習慣づけられているが、他人の目からは変テコであるに相違ない。もっとも、東京の学校へ入学してから分ったが、家によっては同じような習慣のところも少くないようだ。女の子は哀れなものだ。
ところが、実の父母たる土彦も、糸路もわが子を文彦様とよぶのである。同じ分家の家柄たる水彦のところでは木々彦が長子で上がないから、姉の場合は分らないが、父の水彦がわが子を木々彦様と呼びはしない。してみれば、多久家の分家に長男を様づけにするという定まった家法があるわけではないのだろう。万事洋風をまねたがるハイカラ時代ではあったが、水彦様が特にハイカラをとりいれている様子もほかに見当らないから、父母がわが子を文彦様とあがめるのは、なんとなく異様である。光子は幼時からの習慣で、自発的にその奇怪さにこだわることはなかったが、一枝の呪文をきくと、まず思い当るのはそれであった。
彼女は毎日せつなかった。なぜなら、父母が文彦様とよぶのをきくと、ハッとせざるを得なくなったし、それは日常
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