がお久美の娘であろうとは! お久美はメクラとなって鮫河橋に住み、同じメクラと夫婦になって小さな子供が五人もいるとは! そしてわが子は酒のみバクチ打ちの車夫の女房たるに甘んじてもメクラの母の傍を去りがたく、母の手をひき杖の代りとなっているのだ。
東京には多くの貧民窟があったが、特に代表的なものが三ツ。下谷万年町、芝新網、そして最も人口の多いのが四谷鮫河橋である。鮫河橋は万年町、新網のまた一段下で、家賃などはここが一番安い。三十八銭というのがあったそうだ。これを貧民窟では日割で払うのが定めだから一日に一銭三厘払うわけだが、まず大半はその一銭三厘を支払うことが出来なかったそうだ。貧乏人の子ダクサンとは、貧民窟に於てこれを如実に見ることができる。おまけにドン底暮し、貧民窟には、どこよりも寄食者、つまり居候が多いという妙な事実を御存じであろうか。嘘ではない。それが当時の貧民窟の実情であった。有縁無縁の無能力者、惰民の類がゾロゾロと金魚のウンコのようにつながってころがりこんでいるものだった。
明治二十年ごろの平均賃金が、大工、左官、石工などで二十二、三銭(日給)、船大工、染物職などは十七銭、畳屋と経師《きょうじ》屋などが二十一銭ぐらいで、一番高いのが、洋服仕立の四十銭だ。(和服仕立は十九銭)。夫婦に子供一人の生活で、米代が一升十銭、薪炭代一銭、肴代二銭五厘、家賃一銭五厘、石油代五厘、布団損料一銭五厘、最低これだけで十七銭。酒代、タバコ代を入れると二十銭をこす。家族三人だけの最低生活が丁度であるが、雨の日は仕事がないから、人を殺すに手間ヒマいらぬ、雨の十日もふればよい、というのは全く当時の実状である。残飯が上等百二十匁一銭、お焦《こげ》百七十匁一銭、残菜一人一度分一厘、残汁同上二厘、だいたい残飯生活の一人当りは六銭ですんだというが、残飯にきりかえても雨の日はまかなえきれない。
芸人、人力車夫、チョボクレ、立《たち》ん坊などは更に甚しいものだった。貧民窟に住んでいるのはこの連中で、そこは犯罪と伝染病の巣でもあった。
私が中学生ごろまでは、まだこれらの貧民窟があった。キレイさッぱり無くなったのは大震災からであろう。この戦争中、雑炊食堂に行列していた片手のない男が、オレはむかし深川貧民窟のアサリ売りだが、日本人の最低生活てえものは、朝はニマメにツクダニにミソ汁、午《ひる》は干物、夜はカズノコに一杯ぐらいできたもんだ。そのニマメもツタダニも干物もカズノコも、米もありやしねえじゃないかとタンカをきっていたのを見たが、なるほど戦争中の日本人の半分は貧民窟以下の食生活を経験したようである。しかし貧民窟では、その最低の食料を買う銭が一月のうち半分はなかったのである。
正二郎はいささか胸つぶれる思いであったが、お久美には今はメクラの連れ添う男がいて、小さい子供が五人も生れているといえば、今さら名乗りでて、どうなるものでもない。かえッてお久美を苦しめるばかりであろう。すでにこの世にないものと思った方が上策である。そこでお駒には、
「なるほど、気の毒なお母さん、姉さんだが、バクチ打ちの悪漢がついていては、なまじ私が世話をすると、却って双方迷惑する結果になるようだ。姉さんが、家も母も姉もないものと思え、とお前に諭したのは、よくそこを見ぬいているのであろう。私も充分考えてみて、できることは計らうから、お前はしばらく家族のことを思い出さないようにするがよい」
「私も思い出さないことにしていたのです。うッかり申上げてしまいましたが、母や姉をどうこうしでいただこうという気持ではなかったのです。私の抱え主の芸者屋のおカアさんにも姉が呉れ呉れも念を押したことで、私が母や姉を思いだしたら諭してくれるように、また兄さんが会いに来たりユスリに来ても私には会わせないように、と頼んでおりました。お龍姐さんが附き添っている役目の一ツも、私の家の者のことで旦那に迷惑がかからぬように、堅く見張りをするようにとおカアさんに言い含められて来ているのです」
駒子の覚悟はキッパリしていた。正二郎が案じる必要もなかったのだ。しかし、世間は望み通り順調に運んでくれるものではない。
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お源とお米が尾羽うちからして正二郎のところへ迷いこんできた。船頭の宮吉の口車にのって、家も財産もそっくり彼の造船事業につぎこんで、結局かたりとられてしまったのである。宮吉が彼女らに与えた最後の言葉は、ナニ、お前の聟は東京名題の大金持じゃアないか。塩竈のチッポケな財産なんぞが消えてなくなったってタダみたいのものよ。東京へ行って栄耀栄華に暮すが最上の分別さ、ということであった。
宮吉には弱いが、正二郎には強い女たちであった。正二郎は彼女らに別の小さな住居を与えようとしたが、彼女らはきかな
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