それも遠い先の運命ではなさそうだ。江戸に残してきたお久美には気の毒だが、今となっては仕方がない。お久美だって敵軍のために今頃はどうなっているか知れたものではない。ままよ。ここは思いがけない話を幸い、うまい口実をかまえてイタチ組から離れたいものだが、と考えた。
 しかし臆病な男のこと、口実をかまえて言いだす気力がない。いよいよ船にのる。船がうごきだす。必死の思いはさすがのもので、
「ムムムムム……」
 彼は脇腹をおさえて苦しみはじめた。こういう小心な男には神様が特別の仕掛を与えておいて下さると見えて、苦しみだすと、本当に腹が痛いような気がしてきたから妙なものだ。ただごとならぬ苦しみ様。
 一力はイタチ組と肌の違う正二郎の人柄を知っている。この苦しみが狂言ではないかも知れぬが、イタチ組から離れた方がこの男の身の為だと見たから、
「放ッとくと死ぬかも知れんね。陸にちかい今のうちに船から下した方がよい。人家にちかい岸へつけて病人をたのんで行こう」
 イタチ組の面々も、ここまで落ちてきた以上は、こんな小心な男は足手まといになるだけで、役に立つ見込みがない。
「ナニ、人家なんぞなくともかまわん。近い岸へつけて松の根ッこへ放りだせ」
 瑞巌寺の岸へつけ、一力は松島の漁師に後事を託し、正二郎を残して去った。そこで正二郎は首尾よくイタチ組から離れることができた。さッそく塩竈へとって返して、造り酒屋の聟におさまったのである。

          ★

 さて聟におさまってみると、考えていたのとは勝手がちがう。彼の後にイタチ組の抜き身が光っていた時とはちがって、扱いの相違が甚しい。旗本の扱いどころか、下僕の扱い。給料がないから、下僕以下。下僕に対するイタワリも遠慮もない。
 だんだん様子が分ってくると、彼を聟にむかえたも道理。お米は名題《なだい》の淫奔娘で、すでに三人も父《てて》なし子を生み落して里子にだしており、この界隈からは然るべき聟をむかえることができない娘であった。
 また清作が娘のお米に対する態度も冷淡である。清作はお米が自分の子ではあるまいと疑っていた。娘に似て母のお源も淫奔だった。清作と結婚まもなく、専信という美貌の僧との取沙汰があった。そして生れたのがお米であるが、醜男《ぶおとこ》の清作に似たところはなく、どことなく専信の面影を宿していた。その時以来夫婦の仲は冷えきって
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