アタゴ山とはだいぶ違わア。だがナ。神田の甚八を見損っちゃアいけねえぜ。オレが十日もコンをつめりゃア、江戸城だって築いてみせらア。ハッハ」
問題は道なき山の頂上へ登る手口の発見だ。山へふみこむと山の姿を見失う。そのとき己れの位置と方角をいかにして正しく知るかという問題だ。だが山中には越えがたい藪や絶壁が諸方にあるし、二日三日で仕上げのできることでないのは確かであった。
明日はいよいよ二十一周忌の当日という夕方、甚八が疲れきって山から戻ってくると、珍しく離れから使いがきて、遊びにこないかという。行ってみると、天鬼を中央に、千代も入間夫妻もそろっている。天鬼は笑って、
「棟梁にははじめての挨拶だが、私は千代の兄で安倍天鬼という者だ。こッちの夫婦は入間玄斎という御家人くずれの通人だ。今度の招待には、棟梁もめっぽう面くらったらしいな」
「ヘッヘ」
「くわしい事情は私が説明しなくともみんな探りだしたであろうが、ハッハ。イヤ、あんたがこの村へきてからのことは、みんな知っとるよ。よくもまア足マメに一軒のこらず訊いて廻ったものじゃアないか。よほど面くらわなくちゃアできない芸当だが、しかし、癖《へき》がなくちゃアこう身を入れてやれるものじゃアない。その癖《へき》に感じて、ここに誰からも訊きだすことができなかった一ツの書附を進ぜようじゃないか」
天鬼は笑いながら、懐中から、一枚の半紙をとりだした。それをひろげて、甚八の前へ押しやったのを見ると、アッと顔の色を変えたのは千代であった。
これぞ亡夫の先々代が系図に書き加えた謎の文字ではないか。仏像の秘密の胎内に隠された系図は、今では千代のほかにその所在を知る者はないはずだ。悪智恵が達者な天鬼とはいえ、いつのまに系図の所在を見破り、書き写したものであろうか。思えば悲しい千代である。彼女はすでにこの謎の文字を思いだすことも忘れていた。東太成人せば、と、その日をタノシミにすることができたのは、思えば短い年月であった。東太が生れもつかぬ低能児と分っては、亡夫が死に際に暗示した謎をとき、家伝の言葉を東太に伝える希望も根気もありやせぬ。いっそ東太を殺して自分も死んでしまいたい日夜の悲しい思い。謎の文字を思いだすさえ、身をきられる苦しみ。全てを忘れて東太と共にバカでありたい千代であった。
しかし、いつのまに天鬼がこれを見破ったのだろう。そんな様子はツイぞ見せたことがないだけに怖しい。二十年前、狂人のように亡夫の死に様をまねて指の方向をはかって以来、二度とそのような様子はなかった。すべてをキレイにあきらめて忘れきったようであった。そのくせいつの問にか系図の所在を見破り謎の文字を書写しているとは怖しい。何くわぬ顔をしながら、心はいつも一途に千頭家の秘密を追求していたのだ。なんという怖しい兄であろう。
ああ、我あやまてり。千代は思った。東太の低能の悲しさに盲いて、千頭家の由緒ある秘密の断絶を意としなかった天罰だ。この秘密の解明を人手にまかせて、どうして先祖に顔が立とうか。否、東太にも会わせる顔がないではないか。千代の顔色は思わず幽鬼の如くに蒼ざめて、ひきしまった。
天鬼はそれにチラと目をくれてニヤリとうち笑い、
「お前が顔色を変えるところを見ると、まだこの謎を解いていないな。謎をとけば、顔の色を変えるほどのことはない。甚八さんや。この謎の字は千頭家の系図にしるされた秘密だよ。天下にこれを知る者は千代と私のほかにはいない。あんたいくら村中を駈けまわっても、これを訊きだすワケにはいかないのさ。この紙キレそっくり進ぜよう」
天鬼はカラカラと笑って、
「さて棟梁。この紙キレを進ぜる代りに、こッちも一ツ知りたいことがある。あんたは村人たちに、このへんに名の知れた石はないかと訊いてまわりなすッたね。これはどういうワケだね。石ということが頭にうかんだワケを明してもらいたいね」
天鬼は眼光鋭くジッと甚八の目を見つめた。天鬼は見るべき方角をあやまったのだ。もしも千代の顔に一目やれば、彼はその意外さに気づいたはずだ。心臓の鼓動がとまったように恐怖のために全身堅くひきしまり思わずブルッとふるえたのは、甚八ではなくて、千代だったのだ。
甚八はケロリとして、
「イエ。なんでもありませんや。ちょうど旦那に庭石をたのまれていたから、ついでに探しただけのことでさア」
「ハハ。たかが庭石を探すぐらいで、あの道のないタナグ山へ踏み入り、藪を越え、谷を渉り、岩をよじてさまようことはないだろうさ。そのワケを言いなさい」
「そうですか。それじゃア申しますが、私しゃアね。死んだ旦那が指したのは、方角かも知れないし、また碁石かも知れないと思っただけさ。石を探せという意味かも知れないと思いましたのさ。あっちこっち山中に至るまで探して歩くと、どこかに目ジルシの石らしいものが見つかりやしないかなぞと思ってみただけのことでさアね」
甚八の言葉がいかにも素直でアッサリしているから、天鬼はうなずいて、
「なるほど」
そんなことか、と思った。この時に至っても、彼の目の方角がわるかった。もしも千代を一目見れば、ハテナと思った筈である。千代は我を忘れて、考えこんでいた。ああなんたることだ。二十年。わが身に課せられた義務を忘れて無為にすごしているうちに、二十年目に迷いこんだ風来坊がたッた六七日のうちに、彼女の知り得た秘密の全てを見破っているではないか。さすがに甚八は「石の下」とは云わなかった。云わないから怖しい。彼はすでにタナグ山中を歩きまわっているというではないか。タナグ山中と見たのは、なぜだろう。怖しい。彼はすでに多くのことを知っているに相違ないのだ。もしも天鬼が「石の下」という碁の筋のことを知っているなら、タナグ山中を歩いているという甚八の怖しさが身にしみて分る筈なのだ。千代は茫然と考えこんだ。こうしてはいられない。家伝の秘密をオメオメ人に見破られ、隠された財宝を人手に渡してなろうか。だが、どうすればよいのだろう。千代は傍に人々のいるのも忘れて、いかにして彼らの先に秘密を見破るべきかと思い迷った。
★
甚八は部屋へ戻るど、天鬼からもらった紙キレをひろげて考えこんだ。
「人左川度。キウンヨザギンブ。クレビラキ。当家大明神大女神也」
しばらく見ているうちに、顔色が明るく変った。彼はヒザを叩いて起き上った。
「フン。そうか。するてえと、やっぱり金箱だ。それも、よほど莫大な金箱に相違ない。佐渡金山奉行か。首斬られ、というのが分らねえや。当家大明神、大女神てえのも、分らねえが、佐渡金山奉行とあるからには、金箱だけはマチガイがねえや」
歴史を知らない甚八には全部のことは分らなかったが、的は外れていなかった。
歴史の心得があったにしても、この謎の文字からだけでは正確な結論は得られない。系図に書き加えられた文章全部、つまりこの謎の文字に先立って、
「千頭家は当地移住まで特に記すべき血統なし。初代津右衛門長女さだ」
これがないと分らないが、これだけでも正確なことは分らないのである。系図の初代津右衛門長女さだ、その下に記入の歿年、慶長十八年七月二十日、という日附があって、はじめて全てが解明する。
日本歴史に通じた読者はすでにお分りであろうが、この文中の佐渡金山奉行とあるのは、云うまでもなく大久保長安のことである。
家康の挙用した人物中で、大久保長安は僧天海以上の怪物であったろう。彼はもと甲州の猿楽師で大蔵太夫と云ったそうだが、能は相当な名手らしく、はじめ家康は能楽師として彼を召抱えたのである。ところが彼は金山試掘を建議し、言のままに伊豆北山を掘らせると多量の金がでた。つづいて佐渡に金山をひらき、そのフシギな手腕を認められて、経済運営の任に当り、諸国の金山を支配し、佐渡金山奉行も兼ねた。八王子に三万石の領地をもらったが、諸国の金山銀山を支配しているから年中旅行がちであり、自宅でも旅先でもその抜群の好色生活で当時の人々をうならせたものだ。落ちつく先々に妾の数は数十人。旅行中は夜毎の宿々で土地の女を数名侍らせてその方面に休息の必要を知らない。日本史上金へん随一の親玉。でる金の含有量もケタが違う。その時分海中へすてたクズが今では大切な原鉱だ。そのような金へんの精萃の気が身内にこもってゼツリンの精力が生れるのかも知れないね。彼はよく金銀も掘りだしたが、青史に稀れな精力の実績も記録に残しているのである。慶長十八年四月病死した。
長安は死に先立って妾たちに遺産分配の金額を書きこんだ遺言状を一人一人に渡しておいた。同時に長男の藤十郎にも遺言して、妾たちの遺産分配を必ず実行するようにと堅く申しつけておいたのである。長安先生色道の大家だけのことはあって当時異例の大フェミニストであったのだ。
ところが長安の死後、藤十郎は妾たちに約束の遺産を分配してやらなかった。そこで妾たちは立腹し、立派な遺言状を持っているから堂々と訴訟を起したのである。訴えをうけた家康が長安の私宅や、諸国の金山銀山に所在する長安支配の倉庫などを調べさせると、公儀へ届けでずに隠しておいた金銀その他日本第一流の骨董類の山のごときイントク物資が現れてきた。
おまけに切支丹信仰の証拠が現れ、外国を手引きするとか、内乱の準備とおぼしき品々や連判状のようなものまで現れたそうだが、これは当時の伝説で、事実ではなかろうという話である。しかし当時の人にこう信ぜられていたのは確かである。この結果、その連判状の如きものを理由に、何人かの大名が罪をうけた。
藤十郎一族はハリツケになったが、ここに哀れをとどめたのは訴えでた妾たちで、これも同罪なりと「首を斬られ」てしまったのだ。時に慶長十八年七月二十日のことであった。
その歿年と系図に記入の文章を見れば、初代津右衛門の長女さだが長安の妾の一人であったことは明かであろう。
以上が今日の史料から判読しうる事実であるが、さだは長安の生前多くの財宝をうけとってそれを生家に秘蔵していたと見るべきであろうか。幸いにその財宝は長安の死後も発見されずに、そのまま千頭家の私財となり、ここに千頭家開運の元をひらいた。当家大明神大女神とあるのは、それを指すのであろう。
甚八はそんなことまでは知り得なかったが、佐渡金山奉行に関係ある財宝が石の下に隠されているものと睨んだ。
明日は法事の当日。これで千頭家の逗留は終りだが、その方が清々と後クサレなしというものだ。明後日から川越あたりに宿をとって、精根つくして秘密の石を見届けてやろう。東京から二三人若い者をよびよせて、万事手ぬかりなくやるから成功疑いなしだと甚八は満々たる自信であった。
ところが、甚八がさて寝につこうとする時、現れたのは須曾麻呂であった。
「いよいよ法事の当日になりましたが、津右衛門どのの霊にでてもらいますから、身支度して、おいで下さい」
「法事は明日じゃアありませんか」
「甚八さんは二十年前をお忘れとみえますね。あなたは仏と碁をうって夜をふかし、四目の対局の時には翌日未明になっていたのですよ。今夜はこれから二十年前を再現するのですが、碁盤にむかっているうちに、翌日未明になるでしょう。ちょうど津右衛門どのの死んだ時刻に霊が現れる筈になっております」
「ハハア。なるほど。私が誰と碁をうつのかね。まさか津右衛門さんの幽霊と碁をうつわけじゃアあるまいが」
「来てみれば分りますよ。みなさん用意してすでに集っておられますから」
「そうですかい。それじゃア支度して参ると致しましょう」
なるほど、霊が現れるにはそれにふさわしい道具だてが必要なわけだ。そのためにオレをよびよせたのか。こう云われてみれば分らないことはない。謎の文字を考えこんでいるうちに時を過して、夜中になってしまったと見える。
そこで甚八が支度をととのえて大きな台所へでてみると、これは驚いた。女中のギンとソノが二十年前の物らしい小娘の大柄な筒袖をきて控えている。千代もいる。彼女も特に命じられたのか、二十年前の物とおぼしい着物をきている。
ギン
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