明治開化 安吾捕物
その七 石の下
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)千頭《せんどう》津右衛門

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)江戸|名題《なだい》の

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ニヤリ/\と
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「私は六段格で。ヘッヘ」
 と、甚八はさッさと白をとった。神田の甚八といえば江戸|名題《なだい》の賭碁のアンチャン。本職は大工だが、碁石を握ると素人無敵、本因坊にも二目なら絶対、先なら打ち分けぐらいでしょうなとウヌボレのいたって強い男。川越くんだりへ来て、手を隠すことはない。
 武州川越在の千頭《せんどう》津右衛門といえば、碁打の間には全国的に名の知れた打ち手。名人上手に先二なら歩《ぶ》があるという評判であった。礼を厚うして各家元の専門棋士を招き、棋力は進んで五段格を許されていた。諸国の碁天狗どもが参覲交替で上京の折に盛名をきいて手合いに訪問すると、大そうなモテナシをうけるのはいいが、みんなコロコロ負かされてしまう。とうてい敵ではない。津右衛門の棋力は旦那芸にあらず、実力五段充分と諸国の碁打に折紙づきの評判が二十年もつづいて、各家元の打手をのぞいて、田舎棋士の筆頭に押されている達人であった。しかし甚八は怖れない。江戸の素人天狗なら三目置かせて総ナメにしてみせらアと猪のように鼻息の荒い奴だが、棋力はたしかに素人抜群、専門棋士の二段ぐらいの腕はあった。
 金にあかして家元の棋士にチヤホヤと買いとった五段格。所詮は田舎の旦那芸。田舎侍がコロコロ負かされるのは当り前だ。田舎侍の碁天狗などに碁の本筋が分る奴は一人だって居やしない。千頭津右衛門などと名前だけは大そうだが、こちとらは金持ちとちがって一文無しで叩き上げた筋金入りの腕前。生馬の目玉をぬく江戸の天狗連を総ナメのアンチャンだ。二目はおろか三目でも負かしてみせらア。アッハッハ。という肚の中。ひとつ田舎天狗の大将をオモチャにしてやろうというので、はるばる川越くんだりへ御足労とシャレた次第であった。甚八に遠慮なく白をとられても、津右衛門には蚊のとまったほども応えないらしく、クスリと笑って、
「私の耳には江戸の噂も稀にしか届かないが、六段格の甚八さんという名はついぞ聞いたことがないな。むやみに白を握りたがる人に強い人はいないものだが、血気のころは私も覚えのあることだ。せっかく御光来のことだから、お気に召すように打ってあげよう。その代り、いいかね、一番手直りだよ。お前が負ければ私が白。また負ければ、お前さんが二目。また負ければお前さんが三目。また負ければお前さんが四目。また負ければお前さんが五目。また負ければお前……」
 怒るかと思いのほか、こう呟きながら黒石をとる。子供のように軽くあしらわれて、この野郎め、ふざけやがるな、黒石を皆殺しにしてやるぞ、といきり立ってしまった。
 腕が違うところへ、いきりたって突ッかかるから、問題にならない。アベコベに甚八が皆殺されにちかい大惨敗。やむなく黒を握って、手合い違いだ、面白くもねえ。うそぶきながら、これも惨敗。二目ならちょうど良い手合いの筈だが、いきりたっているから、これも問題なく惨敗。三目も惨敗。とうとう四目に打ちこまれた。さすがに四目となれば、のぼせていても甚八とても豪の者、白の地はいくらもつかない。今度こそ黒の勝と見えた。白はシャニムニ隅の黒石を攻めたててきた。そこは生き筋のある石だ。
「フン。負け碁ときて、のぼせたか」
 甚八は鼻の先で苦笑。そこへお茶を持って現れたのは、津右衛門の妻女、千代。
 津右衛門は五年前に先妻を失い、千代はその後にめとった後妻で、まだ二十一。美人ではないが利巧者で、結婚後、良人《おっと》に碁を習い覚えてめきめき上達し、田舎天狗を打ちまかすぐらいの手並になっていた。千代は盤側に坐って盤面を見つめていたが、
「どんな手合い?」
「四目だ」
 これが甚八にグッときた。なにが四目だ。四目の手合か、どうか、盤面を見るがいいや。生き石をムリに攻めたてて、それが四目うてる碁か。手合ちがいも甚し。白を持つのはオレじゃアないか。
「フン。バカな。オレに四目おかせる人が、そんなムリな、生き石を攻めたてるようなバカをするかい。冗談じゃアない。生き死にも分らなくって、よく白が握れるじゃねえか」
 鼻先であしらいながら、考えもせず石をおく。考える必要はないのだ。ちゃんと生きのある石だ。しかし、妙なムダ石を一ツおかれて、甚八は顔色を変えた。
「アッ! ナ、なんだと?」
 甚八は飛上るように身を起して、盤をにらんだ。生きだとばッかり思っていた。なんたることだ。田舎碁打じゃアあるまいし、賭け碁で江戸の天狗連を総ナメの甚八が、この筋を見落すとは! 
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