史に通じた読者はすでにお分りであろうが、この文中の佐渡金山奉行とあるのは、云うまでもなく大久保長安のことである。
家康の挙用した人物中で、大久保長安は僧天海以上の怪物であったろう。彼はもと甲州の猿楽師で大蔵太夫と云ったそうだが、能は相当な名手らしく、はじめ家康は能楽師として彼を召抱えたのである。ところが彼は金山試掘を建議し、言のままに伊豆北山を掘らせると多量の金がでた。つづいて佐渡に金山をひらき、そのフシギな手腕を認められて、経済運営の任に当り、諸国の金山を支配し、佐渡金山奉行も兼ねた。八王子に三万石の領地をもらったが、諸国の金山銀山を支配しているから年中旅行がちであり、自宅でも旅先でもその抜群の好色生活で当時の人々をうならせたものだ。落ちつく先々に妾の数は数十人。旅行中は夜毎の宿々で土地の女を数名侍らせてその方面に休息の必要を知らない。日本史上金へん随一の親玉。でる金の含有量もケタが違う。その時分海中へすてたクズが今では大切な原鉱だ。そのような金へんの精萃の気が身内にこもってゼツリンの精力が生れるのかも知れないね。彼はよく金銀も掘りだしたが、青史に稀れな精力の実績も記録に残しているのである。慶長十八年四月病死した。
長安は死に先立って妾たちに遺産分配の金額を書きこんだ遺言状を一人一人に渡しておいた。同時に長男の藤十郎にも遺言して、妾たちの遺産分配を必ず実行するようにと堅く申しつけておいたのである。長安先生色道の大家だけのことはあって当時異例の大フェミニストであったのだ。
ところが長安の死後、藤十郎は妾たちに約束の遺産を分配してやらなかった。そこで妾たちは立腹し、立派な遺言状を持っているから堂々と訴訟を起したのである。訴えをうけた家康が長安の私宅や、諸国の金山銀山に所在する長安支配の倉庫などを調べさせると、公儀へ届けでずに隠しておいた金銀その他日本第一流の骨董類の山のごときイントク物資が現れてきた。
おまけに切支丹信仰の証拠が現れ、外国を手引きするとか、内乱の準備とおぼしき品々や連判状のようなものまで現れたそうだが、これは当時の伝説で、事実ではなかろうという話である。しかし当時の人にこう信ぜられていたのは確かである。この結果、その連判状の如きものを理由に、何人かの大名が罪をうけた。
藤十郎一族はハリツケになったが、ここに哀れをとどめたのは訴えでた妾たちで、
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