も心配することはない。ソチの家がタナグ山の神霊の化身たる私の神殿となることも太古からの定めであるから、ただ今からソチの家へ引き移る。東太のタタリは津右衛門の二十一周忌の日にバラリと解けて東太は立派な男になるぞよ」
 こう云って、一族をひきつれさッさと千頭家へ引越してしまった。おぼれる者は藁のタトエで、千代にはそれを拒むことが、できなかった。それが今から十年ほど前のことである。
 それ以来、千代は様子を見ていたが、東太の頭の発育に見るべきような変化は現れてくれないが、なにがさて、津右衛門の二十一周忌の当日に至ってバラリとタタリが解けるのだという。ちゃんとはじめにこう宣言がしてあるのだから、変化がなくとも文句も云えない。果して実力ある行者であろうか、山師ではあるまいかと、日夜に思い悩んでいるうちに、ウバ桜とはいえ美貌の玉乃は志呂足の情婦とも妾とも侍女ともつかぬ得体の知れないものとなり、地伯もいつか狂信して、志呂足の長女比良をめとり、千頭家の番頭よりも、山の神の忠実な玄関番になってしまった。下男も女中もみんな志呂足の信者となって、広い邸内に千代の味方は一人もいなくなったのである。
 千代は心細さにたまりかねて、兄の天鬼に相談した。心のよからぬ兄ではあるが、得体の知れない行者にくらべれば、どれぐらいタヨリになるか分らない。利にさとく、人心の表裏に鋭く眼のはたらく兄であるから、心がねじけているだけ志呂足の敵手としては手ごわい手腕を現してくれるかも知れない。それを心だのみに天鬼に相談すると、天鬼は苦笑して、千頭家へ遊びに現れ、一ヶ月の余もユックリ滞在して志呂足の正体を観察していた。
「イワシの頭も信心からと云う通り、人間は気の持ちようで多少の病気はなおるようだな。しかし死病の人が生き返ったり、バカが利巧になることはあるまい。あの志呂足は食わせ者さ。東太を憐れむ余りとはいえ、あんな食わせ者に屋敷をかしたお前もバカだな。だが、今となっては仕方がない。二十一周忌に志呂足のツラの皮をひんむいてやるから、それまで待つがよい。東太はオレが秩父へつれて帰って、仕込み甲斐もなかろうが、多少は智恵のつくように手をほどこしてやろう」
 愛児を手ばなすのは心もとないが、志呂足一味の中におくよりは兄の手にまかせた方が無難かも知れないと、千代もその気になった。ところが、この話を伝えきいた志呂足が思いもよ
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