にやってはいかんぞ」
 こう釘をさしたのは、大和が目当ての言葉であった。彼はバク才にたけ、あらゆるインチキの名人だった。碁将棋まで達者なものだ。しかも一方的な勝ち方をせずに、勝ったり負けたり巧妙にバク才を隠して、結局小さく負けて大きく勝つ。いつも最後に勝っているのは大和であるが、いかにも際どい勝負に持ちこんでおくから、腕の相違が悟られずに、今もってカモになる者が多かった。
 航海も日数経て、女がいるだけ、無聊《ぶりょう》に苦しむと始末にこまる。大和が誘いの水をむけて、
「ナニ、真珠を賭けなきゃいゝじゃないか。いつものように給料でやりゃアいいんだ。それなら船長も文句があるめえ」
 こう言われると、ほかに気晴らしのない船中生活、誘惑に勝てないのである。いつしか大ッピラにやるようになり、畑中の耳にも届いたが、イエ給料でやってるんです、と云われると、たって止めることもできない。しかし、実際の勝負はいつか給料をハミだして、彼らのメモをみれば、船員の普通の収入では賄いきれぬ多額の貸借になっていた。
 ところが、ここに困ったことには、潜水夫の清松が生来のバクチ好きである。幼少から潜水を仕事とも遊びともして先輩の行跡を見て育っているから、潜水病の恐るべきことは身にしみて知っている。先ず花柳病にかかって潜水するとテキメンにやられる。殆ど即死の大患にやられるのである。次に大酒がよろしくない。酒色を慎しむことが潜水夫の第一課だ。しかし清松は海の男の中でも音にきこえた豪胆者、酒色を慎しめばとて、持って生れた負けじ魂が縮んでしまったワケではない。それがバクチに現れるのである。
「ヤイ、清松。手前だけ女がついているからッて、男のツキアイを忘れちゃ済むまい。いちゃつくだけが能じゃねえやな」
 と大和にひやかされると、根が好きな道、腕に覚えもあるから、何を小癪なと仲間に加わる。それからこッちバクチに明け暮れている。兄貴株の八十吉と船頭の竹造が心配して、女房トクと力を合せて時々いさめてみるが、利き目がない。畑中も見かねて清松をよびよせて、
「船中生活の無聊にバクチにふける気持は分るが、あの大和はちょッと心のよからぬ奴、賭の支払いで苦しんでから悔むのはもうおそい。今のうちにやめなさい」
「なアに、あんな奴に負けやしません。たいがい勝ってるのはオレの方でさ」
「それがお前の心得ちがいだよ。私も長い船乗り暮し、だいぶお前よりは大人だから目は肥えている。あの大和は実に驚くべきインチキバクチの天才だよ。何年となく負けつづけているこの船の乗員どもが、今度こそは大和に勝てるという気持をすてることができないのは、よほどバク才のひらきが大きいからだ。今にしてやられるに極っているから、今のうちにやめなさい」
「アッハッハ。海の底が仕事場のオレたちには、水の上じゃア虎や狼とでも遊ぶ気持になりまさア」
 大胆不敵な清松はとりあわない。大和は清松の気質をのみこんだから、こ奴め良きカモ、今に鼻面をひきずりまわしてやろうとほくそ笑んで、先を急がない。大悪党の大和は時期を心得て焦らないが、ここに五十嵐という図体の大きな力持ちの水夫が、女色に飢えて、ひねもす息苦しい思いをしている。トクとキンの姿を見ると思わず抱きつきたい程の逆上的な衝動に襲われるのである。清松の太々しいバクチぶりに相好をくずすのは五十嵐であった。
「オイ。ナ。オレの真珠の儲けをそっくり賭けるから、お前は女を賭けようじゃないか」
 一日に二度も三度もこれを持ちだす。清松の方は驚きもしないが、これをきいてサッと緊張し、たちまち血相が変ってくるのは一座の水夫どもである。思いは同じ、焼けつくような情念なのだ。これをきいて悠々とせせら笑っていられるのは大和だけであった。
「よさねえか。色ガキめ。潜水夫と綱持ちは一身同体のものだ。この野郎が夫婦喧嘩を始めちゃア、こちとらの真珠がフイにならアな。慎しみをわきまえぬ色ガキったら有りゃしねえや」
 大和は五十嵐をたしなめておいて、清松に向い、
「この野郎どもの思いつめた顔附を見なよ。一様に血相変えてカタズをのんでいやがる。大事の女房を部屋から出すんじゃねえや。こいつらは女に飢えた狼だからな。男だけの船へ女房つれて乗りこむお前も大馬鹿野郎だ」
 酔いどれても大和は落附きを失わなかった。そのお蔭で波瀾もなく、昇龍丸は目的の海に辿りついたのである。

          ★

 今日は作業の第一日目。まだ本作業にはかからない。裸で潜って海の底を見てくるのだ。八十吉も清松も白蝶貝を知らないのだ。南洋の岩礁の状態についても何の知識もないから、今日は海底見学というわけだ。
 陸の山々はジャングルに覆われて真ッ黒だ。やがて昇龍丸と陸地の中間に黒い岩が波に洗われつつ頭をだしている。いよいよ干潮が近づいたのである。水夫たちは舷側から竹造の潜水船を下す。下し終って竹造と八十吉と清松が乗りこむ。その時、水夫たちは驚きの余り目をまるく、息をのんで棒立ちとなった。
 水夫たちを掻きわけて舷側へ進んで行くのは、キンとトクだ。袖の短いシャツのような白ジュバンに白パンツをはき、頭髪をキリリと手拭で包んでいる。今日は彼女らは綱持ちではない。良人につづいて彼女らも海底を見てくるのだ。息綱を使うには海底の状態を知っているのが要件なのだ。
 彼女らは黙々と梯子を降る。それにしても、この二人の海女の肢体はスクスクと良くのびている。真ッ白な長い脚も美しいが、キリキリと腹帯をしめた細い腰を中にして、胸のふくらみ、豊かな腹部が目を打つのだ。白布に覆われているために、妖しい夢の数々を全てよみがえらせてしまうようだ。
 畑中も小舟にのりこんだ。彼が山立てしておいた海面へ小舟は進んでゆくのである。四名の男女はタコメガネをかけ口中にナイフをくわえて十尋に足らぬ浅海から順次潜水をはじめる。その海底は見渡す限り花リーフの大原野であった。大きな魚が逃げもせず目を光らせているのもあれば、悠々と通りすぎて行くのもある。礁にかこまれた広い砂原にでる。そこに大きな皿を二枚立てたように並んでいるのが白蝶貝であった。近づくとスウと蓋を閉じてしまう。強いヒゲですがりついているから、手でひいても動かない。小刀でヒゲを切って採るのである。リーフ原の海底には急潮がうずまいて、相当に翻弄される。しかし、色彩が豊富で、美しく、魔魚毒蛇の幻想に悩むことがないのであった。
 十米から二十米、三十米の海底に、綱につけた四貫ほどの鉛を抱いて急降下する。降下の途中は暗黒だが、底につくと、明るくなる。その辺が彼らの仕事の地点で、うすく白砂に覆われた砂原が点在し、白蝶貝の巨大なのが、いたる所に皿を立てているのであった。
 四名は、一団にかたまりつつ、四時間ほども海底を潜りつづけた。二人の海女が海面へ浮上して一息つくたびに、昇龍丸の水夫たちはカタズをのんでその顔だけの女を睨みつづけていた。五百米も離れている。その顔は白い鉢巻がそれと分るぐらいにすぎないが、彼らにとつては数々の幻想のくめどもつきぬ泉であった。
 その彼女らを水夫にも劣らぬ情炎をこめて飽かず眺めていたのは今村であった。彼とてもまだ三十の青年だった。通辞といえば、その職業柄、そう堅くもない生活に通じ易いものではあるが、彼はこのように魅力の深い女の姿を日本に於て見ることは有りうべからざる夢のような気がしたのだ。夢想に縁遠い彼であったが、これが竜宮であろうか、あれは妖精であろうかとふと考えて見た。しかしそれは自分の心を偽るための見せかけだった。彼は余りにも強烈な慾情を自覚したくなかったのだ。彼は五十嵐や大和にも増して、色情に飢えた狼であった。
 潜水夫たちは上ってきた。二人の女が船へ上ると、男たちはそれをとりまいて、まるでふるえているように見えた。するとフラフラととびだしてきた一人の男が、まるで酔ッ払いがモミ手でもするかのように身をかがめたと思うと、キンの尻を拝むように押えていた。しかし彼はその手に力をこめることができなかったばかりでなく、押えたハズミに全身の力がぬけたのか、ガックリ膝まずいて、うなだれてしまった。しかし、うなだれる一瞬早く、彼の目は赤い炎をふきあげてキンの尻に食い入るばかり見つめた凄さまじさを人々は見逃さなかった。
 人々は魂をぬかれたバカのように、それを黙って見つめた。キンが身をひいて走り去ると、人々ははじめて息をついたが、誰も言葉を発する者がいなかった。キンに抱きついた男は、実直のウスノロで通っている金太という三十三のこの船中では年配の水夫であった。誰も彼がこんなことをしようなどとは考えられないことだったのだ。
 今村はそれを見終って戦慄した。それは金太の仕業に対しての戦慄ではなくて、金太が手に抑えたものの至上な魅力に対する戦慄であった。彼の目に、彼の心に、全身に蛇が宿ったのだ。
 翌日から正式の作業がはじまった。八十吉と清松は交代で潜るのである。畑中も潜水船に乗りこみ、十五名のポンプ押しが交替でポンプを押すのを指揮するのだ。万一のことがあっては困るから、大和や五十嵐や金太はポンプ押しから除外されたが、五十嵐は執拗にポンプ押しを志願した。それはポンプ押しの小船の上に二人の女が居るためであった。
 彼らが予期した通り、この海底は巨大な白蝶貝の無限の棲息地帯であった。黒蝶貝も多かった。八十吉と清松は、木曜島の潜水夫等が一日に三ツしか見つけることができないような老貝を、それ以上の物を含めて、潜水中のあらゆる時間、殆ど探す手間もなく採ることができるのである。夕方までに採った貝は数を算えて一夜をすごし、翌日の夜明けを待って、各人の見ている前で、畑中自ら貝をさいて、真珠を探すのである。
 真珠はその形成される場所によって品位の差がある。大別して袋真珠と筋肉真珠にわけ、前者の方が優良品である。袋真珠の中でも外套膜の周辺組織内にできる物が形も色も光沢もよく、比較的珠も大きい。介殻の蝶番部に相当する外套膜にできるものは不正形であるが、非常に光沢のよい長円形の物が生ずることがある。外套膜の中央部、内臓を覆う組織の中に生じるものは一般は小形である。以上の袋真珠に比して筋肉真珠は形も光沢も悪く、殆ど宝石の価値を持たないものだ。
 しかし、いかな白蝶貝の老貝とはいえ、どの貝からも真珠がとれるというようなザラに在るものではないのである。しかし白蝶貝は、真珠がなくとも貝殻自体が装飾品として相当の値(今の値で千五百円、二千円ぐらいか)で売れるのである。
 昇龍丸が発見した海底の真珠貝は、貝殻も巨大であるが、真珠の含有率も甚だ良好であったのみならず、良質の真珠が多く、畑中の指が銀白色の真珠をつまみだすたびに、期せずして一同の口から歓声があがった。
 採った真珠は数的には公平に分配することになっていた。ただ各自が真珠を選びとる順序があった。第一は畑中、次は八十吉、清松、竹造の順で、それ以後は船員の階級順であったが、今村は臨時の乗員であるために下級水夫の上位、ほぼ全員の中間ぐらいに位していた。ドン尻がキンとトクの女子であった。真珠の数の有る限り、何回でもこの順序で自分の物を選び取ることを繰返すのである。これは畑中の発案で、彼としてはこれで公平と思っていたし、事実労資の分配率ははるかに差の甚しいものであったから、予測せざる現実が起きるまでは、誰一人異見を立てなかったのである。
 日を重ねるに従って、上質で大粒の真珠がその数を増していた。こんな光沢の良い大粒のものが一ツでも自分に廻ればと思うような物が、忽ち全員に二ツも三ツも廻るような目ざましい収穫であるから、船員たちの潜水夫に対する態度にも多少改まったものが感じられるように思われた。
 四十五日目のことであった。その化け物の如くに巨大な黒蝶貝を採ってきたのは清松であった。翌早朝、先ず畑中はその貝をとりあげて一同に示した。
「黒蝶貝の主だぜ。得てして、こういう怪物は神様の御神体と同じように、カラでなければ、とんだ下手物《げてもの》しか出ないものだて」
 今迄の例がそうだった。しかし畑中は殻を
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