この貝は三十センチにも達し、そのような大きな老貝に限って大きな真珠を蔵しているが、真珠船が集ってくると忽ち老貝は採りつくされてしまうから、まだ潜水夫のくぐらない処女地へ一足先に潜るために船主は場所を争うのである。
 昇龍丸の発見した海底に於ては、木曜島に於て見かけることのできなかった一尺余の老貝がしきつめているという。又、六寸七寸の巨大な黒蝶貝の群生地帯もあるという。この黒蝶貝からは稀に黒色の真珠が現れることがあって、それは殆ど値に限りのない珍宝である。
 今村は冷静な現実家で、夢想癖には無縁の男であったから、木曜島にいる時には真珠景気に眩惑されもしなかった。しかし今や世界に比類ない真珠貝の群生地帯へ自ら急ぎ行く身になっては、猛然として頭をもたげてくるものは、現実的な慾念であり、情熱であった。かの神秘なまでに端麗なアリアンの美女も彼の手にとどかぬ物ではなくなったのだ。
 二人の若い女が船に乗りこむと聞いた時に畑中よりも不安を感じたのは彼であった。彼は乗船に先だって畑中を訪ねて、
「息綱持ちがその女に限るとなれば仕方がありませんが、その代り、料理方の大和を解雇して貰いたいものです。あの猛毒の深海鰻めが船内にトグロをまいている限り、女が乗り組んで、船に異変が起らぬということは有り得ません」
「自分もそれを考えないではないが、板子一枚下は地獄と云う通り、船乗りには身についた特別の感情があって、ともに航海するものは盟友であり、家族でもあるのです。女が乗りこむからと云って、その為に家族の一人を除くというのは情に於て忍び得ません。そのことからも不吉な異変が起りかねないという感じ方もあるものですよ。ここは船長たる自分にまかせていただきたいものです」
 こうなだめられると、船員でもない今村がたって言い張るわけにもいかない。
 畑中は船が東京湾を出たころ一同を甲板によびあつめて、
「さて、この航海に限ってお前たちに堅く約束して貰わねばならないことが一つある。ほかでもないが、船内のバクチを一切慎んでもらいたい。船乗りにバクチは附き物だが、給料を賭けるのとはワケがちがって、この航海にはお前たちの一生を保証するかも知れないほどの莫大な富が得られるかも知れないのだ。それを当てにバクチをやると、元も子もなくなってしまう。せっかくこうして心を合せて冒険をやった甲斐がなくなるから、バクチだけは絶対にやってはいかんぞ」
 こう釘をさしたのは、大和が目当ての言葉であった。彼はバク才にたけ、あらゆるインチキの名人だった。碁将棋まで達者なものだ。しかも一方的な勝ち方をせずに、勝ったり負けたり巧妙にバク才を隠して、結局小さく負けて大きく勝つ。いつも最後に勝っているのは大和であるが、いかにも際どい勝負に持ちこんでおくから、腕の相違が悟られずに、今もってカモになる者が多かった。
 航海も日数経て、女がいるだけ、無聊《ぶりょう》に苦しむと始末にこまる。大和が誘いの水をむけて、
「ナニ、真珠を賭けなきゃいゝじゃないか。いつものように給料でやりゃアいいんだ。それなら船長も文句があるめえ」
 こう言われると、ほかに気晴らしのない船中生活、誘惑に勝てないのである。いつしか大ッピラにやるようになり、畑中の耳にも届いたが、イエ給料でやってるんです、と云われると、たって止めることもできない。しかし、実際の勝負はいつか給料をハミだして、彼らのメモをみれば、船員の普通の収入では賄いきれぬ多額の貸借になっていた。
 ところが、ここに困ったことには、潜水夫の清松が生来のバクチ好きである。幼少から潜水を仕事とも遊びともして先輩の行跡を見て育っているから、潜水病の恐るべきことは身にしみて知っている。先ず花柳病にかかって潜水するとテキメンにやられる。殆ど即死の大患にやられるのである。次に大酒がよろしくない。酒色を慎しむことが潜水夫の第一課だ。しかし清松は海の男の中でも音にきこえた豪胆者、酒色を慎しめばとて、持って生れた負けじ魂が縮んでしまったワケではない。それがバクチに現れるのである。
「ヤイ、清松。手前だけ女がついているからッて、男のツキアイを忘れちゃ済むまい。いちゃつくだけが能じゃねえやな」
 と大和にひやかされると、根が好きな道、腕に覚えもあるから、何を小癪なと仲間に加わる。それからこッちバクチに明け暮れている。兄貴株の八十吉と船頭の竹造が心配して、女房トクと力を合せて時々いさめてみるが、利き目がない。畑中も見かねて清松をよびよせて、
「船中生活の無聊にバクチにふける気持は分るが、あの大和はちょッと心のよからぬ奴、賭の支払いで苦しんでから悔むのはもうおそい。今のうちにやめなさい」
「なアに、あんな奴に負けやしません。たいがい勝ってるのはオレの方でさ」
「それがお前の心得ちがいだよ。私も長い船乗り
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