下へ落ちたものらしい。
 喧嘩して落ちて両方死んだのだから、仕方がない。ところが妙なことに、花田の方には変ったことは何もないが、野草の住所が分らない。浅虫家では誰も彼の住所を知る者がなかった。未亡人にきいてみると、彼は住所を誰にも言わなかったし、きき忘れてもいたというのである。野草の懐中からは手の切れるような十円札の百枚束、千円という大金のフクサ包みが出てきたが、立派な和紙で包まれていて、小銭入れと別になっているのを見ると、人にやる金か、人から貰った金か、特別な金であるらしく思われる。所轄の警察ではちょッと臭くも思ったが、喧嘩両成敗で、二人ともに死んだ以上は文句はない。ただ野草の屍体の引取人が現れるのを待っていた。
 新聞の記事を見て、野草の女房がひきとりに来た。水商売あがりのまだ三十に二ツ三ツ間がありそうな若いちょッとした美人。大そう着かざって、威張った女だ。
「変だねえ。オレは殺されるかも知れないと、この人は口癖のように言ってたんですよ」
「誰に殺されるといっていたのだネ」
「さア。誰だか知りませんが、医者の奴がいやがるから、危くッて、お茶も呑めやしねえなんて言ってたんです」
「それなら話が合っている。その医者と組打ちして、崖から落ちて死んだのだ。医者も死んだのだから、あきらめなさい」
「そうですか」
 と、女房は屍体をひきとって退去した。
 ところが、その翌日、この女房をかこんで一人の婆さんと年のころ二十二三のイナセな兄チャンが警察へのりこんできた。この婆さんが野草の先妻でイナセな兄チャンは野草の長男であった。野草が浅虫家の下男の時は、邸内の小住宅に婆さんも長男も一しょに住んでいた。先代が急死すると、野草は浅虫家からヒマをもらい、妻子を離別して行方をくらました。数年たって、野草の家をつきとめてみると、大そうな金持になっている。婆さんが泣きつくと、毎月三十円ずつくれたが、後に手を合して五十円にしても貰った。どうして金持になったのか婆さんは知らなかったが、野草が死んだので今のカミサンに会って事情をきいてみると、野草は働いて金を稼いでいたのではない。何もしないで、毎月千円ずつ金がはいってくるのである。家の中をひッかきまわしても銀行預金というものが在るらしいようには見えないから、今にしてハッキリしたが、その毎月の千円は浅虫家から出ていたものに相違ない。今のカミサンは彼が死ぬまで浅虫家のことは知らなかったが、先妻の婆さんには思い当るフシがある。浅虫家の先代は何かで急死したのである。野草は案外口が堅くて、癩病のこと自殺のことを先妻にもらしていなかったが、ただならぬ屋敷の様子で、何か大きな曰くがあることは察せられたのである。
 毎月千円という大金を五年間もゆすッていたとは驚くべきこと、いかに先方が大金持にしても、よほどの秘密に相違ない。それほどの大秘密を握っている人物を生かしておきたくはないから、これは殺されたと見るのが正しいようだ。この秘密は先代の急死に関係していることだから、その秘密を出入りの医者が握っているのは当然のこと。そこで秘密を握っている二人が、自分一人でうまい汁を吸いたいのは人情であるから、二人で殺し合いをしたようにも考えられるが、浅虫家の立場から考えてみると、二人一しょに殺してしまえば永久に秘密の洩れることがなくなるのだから、二人を殺してしまいたいのは更に必死な願望であるに相違ない。
 野草の長男はちょッと才走った兄チャンで、人間と一しょに三ツ四ツ崖の石が崩れて落ちたのはおかしい。シンコ細工の崖じゃアあるまいし、人間が多少喧嘩なぐりッこをしたところで地震が起りやしまいし、コチトラはトビだから、崖を見れば分る。浅虫家の崖は念入りの石組み、人間が足をすべらしたって、石が一しょに崩れるような細工じゃない。これは、そこへ登ると落ちるように仕組んだ者があったに相違ないと睨んだ。そこで三人、警察へ乗りこんだのであった。
「しかし、よくまア憎い二人を一しょにそろえて、あつらえ向きに仕掛けの石の上へ乗せることができたものだな」
 と警官は笑って、
「お前の父は浅虫家をゆすっていた悪者ではないか。よくまア畏れ気もなく、そんなことが言って出られたものだ。その話しぶりじゃア、ゆすられている浅虫家が大悪者で、ゆするのが当然というようじゃないか」
 と、ひやかされて追い返された。
 そこで野草の長男は考えた。フン、警察の奴はうまいこと教えてくれた。犯人なんぞをふんづかまえても、一文にもなりやしないが、浅虫家の秘密を握れば、毎月千円には確かになる。こんな大モウケは当今ほかに落ッこッているものか。ちょッとはモトデがかかったって、秘密を握れば〆たもの。五年前に雇人がヒマをもらッたというから、それを探してきいて廻ると、必ず何かが掴めるだろう。全部は掴め
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