明治開化 安吾捕物
その四 ああ無情
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)美髯《びぜん》を

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)本郷|真砂《まさご》町
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 今日一日で月が変ると、明日からは十二月。一年に十二回ある晦日という奴も気に入らないが、十二月という最後の月は月全体が性にあわない。昨日今日からメッキリ寒気が身にしみやがると、モーロー車夫の捨吉は毛布をひっかぶって上野広小路にちかい小路の角で辻待ちをしていた。上野駅には車夫集会所というのがあって、駅の車夫はそこに詰めるのが普通であるが、捨吉はモーローだから、辻で客を拾う。客によっては酒手をたんまり強奪しようという雲助稼業である。
 商店の奥をのぞくと、時計は九時をまわったところだ。いいカモをつかんで一パイありつきたいものだと思っているところへ、進みよった一人の紳士、黒い外套の襟に顔をうずめ、ハットを眼深にかぶっているが、色白の秀麗な眉目は隠しきれない。美髯《びぜん》をピンと八の字にはねて、年のころは二十六七、三十がらみという青年紳士である。手にはかなりカサはあるが、そう重くもないらしい包みを持っている。
 捨吉は車を寄せて、
「へ。どうぞ。旦那、どちらまで」
「乗って参るのではない。本郷|真砂《まさご》町に中橋という別荘がある」
「ヘイ。ヘイ。存じておりやす」
「その別荘に行李が一個あずけてあるから、それを受けとり、浜町河岸の中橋本邸へ届けてもらいたい。お前が行李をつむと、別荘番が二円の祝儀をくれるから、お前は一ッ走り、十時前に本邸へ届けなさい」
「ヘイ。それだけで?」
「それだけだ。急いで行け」
 と、青年紳士は上野駅の方へ去ってしまった。切り通しを登って三丁目をすぎれば、すぐ真砂町。中橋別荘の門前へ走りついた捨吉が、閉じた門を四五分もヤケに叩いて大声はりあげて案内を乞うと、ようやく門をあけて現れた別荘番の老人が、
「今、門をしめたばかりだというのに、お前はさっきの車夫か」
「さっきの車夫だか、いつの車夫だか知らないが、ごらんのような車夫でさア。本宅へ届ける行李を受けとりに来やしたから、二円の御祝儀をいただきやしょう」
 祝儀がよいから、捨吉はせいぜい愛想笑いのようなものをフンパツしてみせる。老人は行李をつませて、二円を与えたが、捨吉が礼を云うと、ブリブリして、
「オレに礼を云うことはない。人を馬鹿にしておる。さッさと行け」
「ヘイ」
 二円もらえば、文句はない。捨吉は老人の小言をきき流して門をでたが、切り通しを降りるころから考えた。浜町といえば、そう遠くはない。一ッ走り、届けるのは何でもないが、二円の祝儀がタダゴトではない。中橋英太郎といえば、今は時めく出世頭の一人。海外貿易商事や興行物ですごいモウケをあげているという評判の旦那だ。ズッシリ重い行李の中身は分らないが、虫蛇お化けでないことは確か。あるいは密貿易の秘密の財宝であるかも知れない。行李を預った車夫がモーローの捨吉だとはお釈迦様でも御存知ないから、次第によっては、そっくり頂戴に及んでもめったに発覚の怖れもなかろう。とにかくたって今夜の中に届けるにも及ぶまいから、まず一夜お預けをねがってゆっくり中身を拝ませていただこう、と、下谷万年町の貧民窟の自宅へ行李を持ちこんだ。
 誰も嫁になる者のないヤモメ暮し。こういう時にはグアイがよい。途中の酒屋で買ってきた貧乏徳利から茶碗酒をガブ飲みして、ホロ酔いキゲン。充分に雰囲気をつくって、宝物を拝もうという捨吉にしては上出来の分別であったが、ヤッコラ、ドッコイ、スットコ、ドッコイと縄をといてフタをあけると、捨吉の奴、尻餅をついて腰をぬかしてしまった。中から現れたのは、見るも無残な女の他殺死体である。
 捨吉はピックリ仰天、一夜マンジリともせず死体のかたわらで考えあかしたが、よい思案がうかばない。夜の明けきらぬうちにどこかへ捨ててしまおうと車にひいて街へでたが、悪事には馴れていても度を失うと日ごろのような気転がない。捨て場に窮しているうちに、お巡りさんにつかまってしまった。

          ★

 所轄の警察ではアッサリ捨吉の犯行ときめて、殺された女の身元さがしだけにかかっていた。美女ひとりとみて、手ごめにして殺したもの。モーロー車夫のよくやることだ。殺しッ放しに捨ててこず、行李詰めにしたのは、自宅へひきこんで手ごめにしたためだ。こう簡単にきめこんだ。
 たった一人、若い巡査が不審をいだいて、念のため、捨吉の申し立てる中橋別荘へ辿って行って、別荘番にきいてみると、意外、彼の申し立てが真実とわかった。しかし、別荘番の言うことも変っている。
「御訊ねの通り、まことに人を小馬鹿にした車夫のふるまいですが、いったい、奴めが何をやりましたか」
「小馬鹿にしたと申しますと、何か致したのですか」
「致すも、致さないも、夜分、当別荘の玄関へ車をつけて、一個の行李を下して、本宅へ届ける行李だが、あとで誰か本宅へ届ける者が受けとりにくるから、その者に行李と二円の祝儀を渡してくれと云って、二円おいて行きおったのです。それから三四十分もたつと戻ってきて、門を叩いて喚きたて、行李をつんで、二円とりもどして行きおったのです。まことに憎いふるまいではありませんか」
「なるほど。して、先に行李を置いて行ったのは何者ですか」
「なに、当人です。小一時間ほどたって、再び現れて、持って戻っただけのことです」
「二人は同一人物でしたか」
「それは同一人にきまっていますとも。二円の仕事を人手に渡す車夫がいますか。昔からゴマノハエと雲助は道中のダニと申す通り、今日、東京のダニはスリと人力車夫。あのダニどもが、二円という大枚の手間を人手に渡すものですか。居酒屋で一パイやる間、この玄関へ保管をたのむ狡猾な手段でしょう」
 若い巡査はこれを本署へ報告した。もう暮れ方であった。
 この奇妙な報告だけでは、署の意見を動かす力にならなかったかも知れない。折も折、同じ署の管轄内で起った奇妙な出来事の報告がきていた。事件の主は、所も同じ万年町の長屋にすむ人力車夫の音次という男である。しかし捨吉とちがって、モーローではなく、上野駅の人力集会所に席をおく車夫である。
 昨夕方六時ちかいころ。短い日がトップリくれた時刻であるが、彼が戻り車をひいて公園下、今なら西郷さんの銅像のある山下を通ってくると、二十二三ぐらいと思われる女によびとめられ、根津までと云うので、彼女を乗せて池の端から帝大の方、当時は狐狸の住み場のようなところを通りかかると、
「ちょッと気分がわるいから、車を止めて」
 と云う。そこで、車をとめる。女は車を降りて歩くこと五歩六歩、しばらく佇んでいたが、
「アラ、ハンカチを落したわ。香水が匂うから、すぐ分るはず。私の足もとを探して」
 というので、音次がチョウチンをかざして地面へかがみこむと、女の足もとに、すぐ見つかった。
「姐さん。いい匂いだねえ」
「そうよ。舶来の上等な香水だから。日本にはめったにない品だから、たんと嗅ぎためておきなさい」
 と、こう冗談を言われ、音次もちょッと妖しい気持になった。場所といい、女のなれなれしい態度といい、いかにも気のある風情。なやましい気持がグッとこみあげる。そこで先ずハンカチの香気を思いきり吸いこんだと思うと、そのまま何も分らなくなってしまった。音次は程へて気がついてみると、車夫の服装をはがれている。二三時間土の上にねていたらしいが、寒気に死ななかったのが、まだしも幸せ。車夫の服装一式と共に、人力も消えてなくなっている。狐狸のすむ場所だから、本当に化かされたのかも知れないと、音次は青くなって逃げて帰った。
 音次の車は翌日帝大の構内にすててあった。車の中に服装一式なげこまれていた。以上のような奇妙な報告がきていたのである。捨吉の話では眉目秀麗な青年紳士だが、音次の客は二十二三の女だという。話が合わない。そこで音次をよんで訊いてみた。
「ヘエ。チョウチンの明りでチョイと見ただけですが、ちょッとしたベッピンのようでした。なんしろ寒うござんすから、肩掛を鼻の上からスッポリ包みこんでいましたから、よくは分りません。頭はイギリス巻のようなハイカラでしたよ」
 肩掛はショールともよんだ。今の人には見当もつかないような無骨な流行で、いわば一枚の毛布をスッポリかぶったようなもの。足はひきずるばかり、長マントのように全身をつつむのである。人力にのれば膝かけとなり、百花園へ行けば座ブトンになり、馬車にのれば被り物にもなるなどと当時も言われた程のもの。しかし明治二十年前後には一世を風靡した婦人の流行服装なのである。
 こういうもので鼻から下をスッポリ包んでいては、人相はシカと分りッこない。
「行李のようなものを運ばせたのではないか」
「いえ。行李なんぞ持ってやしません。ちょッとした包みを持っていましたが、カサはあるようでしたが重い荷物ではございませんでしたね」
 まったく符合するところがない。
 しかし、署の老練家のうちにも、死体を点検して、捨吉の犯行を疑っている者もあった。殺し方がむごたらしい。ノドをしめて殺しているが、両の目に一寸釘をうちこんでいるのである。手ごめにして殺しただけの捨吉が、こんなむごいことをするであろうか。又、汚物をふき去って、シサイにしらべてみると、暴行されたような形跡がない。
 だが、又、他の老練家は説を立てて、
「ナニ、一寸釘を両の目に打ちこんだのも、二人の車夫に化けたのも、みんな捨吉のカラクリなのさ。暴行された跡がないのは、自宅で存分慰んだあげくだから、野原で手ごめにしたのとは違うのが当然だ。音次の奴は狐に化かされただけのこと、事件になんの関係もない」
 だが、それにしては、翌朝まで行李を持って廻って、捨て場に窮していたのが、おかしい。
 捨吉の犯行を疑って中橋別荘を訪ね、彼の申し立てが合っているのをたしかめた若い巡査は仲田と云って、メンミツな思考力をもつ優秀な探偵であった。彼はこの事件は捨吉の申し立てが全面的に正しくて、必ずや中橋家に深い関係があるに相違ないと狙いをつけた。
 そこで翌日足を棒にして中橋家の周囲を洗ったアゲク、中橋にはヒサという妾があって向島にかこわれていると知り、ここを訪ねてヒサが十一月の晦日以来行方不明であることを突きとめた。妾宅からヒサの母と女中を署へ連行して首実検させると、まごう方なくヒサであることが判明した。
 ここに至って、捨吉の罪ははれ、モーロー車夫の単純な殺しではなくて、中橋家をめぐって深い事情の伏在する計画的な大犯罪であることが見当がついた。事件は警視庁へレンラクされ、結城新十郎が登場を乞われて魔の犯人と腕くらべをするに至ったのであるが、犯人の世にも聡明な狡智によって幾重にも張りめぐらされた奇々怪々なカラクリ、実に明治最大の智能的殺人事件は、さすがの天才児新十郎もその謎をとくには血の汗のしたたる難儀を要したのである。彼は人に語って、かほど完璧な構成を示す犯罪は外国にも類例稀な、あたかも芸術的性格をおびだ天才的な作品だ、と賞讃したほどであった。

          ★

 警視庁から出張した新十郎はじめ御歴々は探偵を諸方にだしてヒサの身元を洗わせると怪しい人物が多々浮んできた。
 ヒサの実家は菊坂の駄菓子屋、父はなく母親の女手一ツで細々と育てられたが、育つにつれてヒサの美貌は衣を通して光りかがやくばかり、菊坂小町、本郷小町、イヤ、東京小町だなどと評判をよんだ娘である。母親も人目にたつ後家であるから再縁をすすめる人も多かったが、菊坂随一の貧乏世帯を必死にがんばり通したシッカリ者、ヒサが光りかがやくように美しくなるから、ほくそえんで、これで苦労のしがいがあった、然るべき旦那をもたせて老後を安楽に暮しましょうと、せいぜい娘に虫気のつかないように油断なく気をくばっていた。けれども親が案ずるほど虫気がつくのは世のならい。
 ここに医学部の書生で、荒巻敏司という美男子があった。然るべき官員
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