宅を訪問いたしますから、悪しからずおききおき下さい」
「妹は兄にまけない強情な女ですからな。アハハ」
 全作の笑声を背中にきいて新十郎は戻ってきた。
 これを一同に報告して、重立った者のみが七八名で、竹早町の月田邸を訪ねた。久世山の教会から月田邸までは、歩いて十分あまりの距離でしかない。
 まず女中に乞うて、庭に入り、現場をつぶさに調べる。女中たちをよびあつめて、誰か深夜にそれらしい音はきかなかったかときくと、使用人の部屋はすべて庭の反対側に面しているから、庭の奥の物音はいかな深夜でもきこえないという返事である。なるほど、使用人の部屋から、アズマヤまでの距離は直線にしても甚大で、きこえないというのが当然のようだ。
 あいにく庭の裏手は道路を距てて広い校庭になっており、近所には人家が一軒もない。聞き込みの当てもないのであった。
 新十郎はしばし現場のアズマヤにたたずんで四方を眺めた。そこは大木にとりかこまれて、さながら深山幽谷にいるかのような趣き、四辺の木々はひっそりとしずまって、まるで一里の厚さにかこまれた森の中のようであった。彼はアズマヤの中へはいってアチコチ見まわした。藁ブキのアズマヤであった。
 新十郎は密森から明るい池の方へでて女中をよんで、
「ちょッとお嬢さんにおききしたいことがあるのだが、こちらへ来ていただいたものか、お嬢さまのお部屋へうかがったものか、御都合をうけたまわって下さい」
 月田邸へ到着するや、いきなりミヤ子に会いたいと云わなかったのは賢明の策。ミヤ子に会うのは主たる目的でも何でもないような様子を見せたから、それではおいで下さいと広間へ通された。ミヤ子は一同をむかえて、
「私に何の御用でしょうか」
「喪中にお騒がせいたしまして、無礼の段おゆるし下さい。今回はまことにおいたわしいことでした」
「いいえ、別にいたわしいことはございません。当家は別段喪に服してはおりません。変死人の死体は寺へ預けて一切任せてございます。兄は平常通り出勤いたしております」
「ヤ。そのような話は承っておりました。失礼ですが、お嬢さまは天王会の信者でいらッしゃいますか」
「いいえ。当家は代々法華宗を信仰いたしております。」
「これはお見それいたしました。天王会の赤裂地尊の祭日にお嬢さまが出席されておりますから、信徒とまちがえました。あの祭日の行事中、特にお嬢さまが御出席のヤミヨセには信者以外の者は列席を許されないときつい定めがございますが、お義姉《ねえ》様の特別のはからいで列席を許されなすったのでしょうか」
 ミヤ子の顔色はビクとうごいた気配もない。それでもしばし口をつぐんでジッと新十郎を見つめているのは、思わぬ急所をつかれたからであったろうか。やがて平然と答えた。
「そう。姉のはからいかも知れません。特に心霊的に解釈いたしましてね。姉があの日のヤミヨセという行事で狼に食いころされるかも知れないと大そう怖れているのを知りましたから、あの人が狼に食い殺されるならずいぶん面白い見モノだろうと思って、居ても立ってもいられなくなりましたのです。幸い天王会の本殿は元山賀侯の御本邸で、達也様なら内情におくわしかろうと御案内をたのみました。山賀侯爵家は当家の仇敵のようなものですが、達也様は天王会を目の敵にするお方ですから、二三度お会いしただけで親しい方ではありませんが、あつかましく御案内をたのみました。快く引きうけて下さいましたので、マサカと思っていましたが、狐憑きの血筋は争われないものですね」
 新十郎は笑って、
「お嬢さまはお考えちがいをなすッていらッしゃいます。当夜お嬢さまがヤミヨセに出席なさったことは、ほかに見ている人がいて教えてくれたのです。山賀達也さんは、当夜列席していたのは自分一人で女の連れなどはなかったと大そうかばっていらッしゃるのですよ。それで、ヤミヨセ見物の御感想はいかがでしたか?」
「大そう面白く拝見いたしました。本当に食い殺されたと思いまして喜んでおりましたが、生き返ったのでガッカリいたしました。しかし結局あの結果になりましたから、天王会の隠し神は案外正直でございます。当家の庭で殺したのはズルイやり方ですが、生き返ったままノコノコ戻ってくるのに比べれば、結構なことで、不平ものべられませんね。天王会には散々迷惑した当家ですが、これで恨みがいくらか軽くなったように思われます」
「あの晩は何時ごろお帰りでしたか」
「ヤミヨセが終るとさッそく帰りました。門の前まで達也さんに送っていただきましたが、帰ってみると零時ちょッと過ぎていました」
「庭に物音をおききになりませんでしたか」
「疲れてグッスリねましたので、目がさめるまで何一つ覚えがありません」
 これも亦《また》荒ぶる神の親類筋のようなすさまじさ。神経が太いというのか、気象が荒いというのか、それとも余程利口なのか、兄と云い、妹と云い、一筋縄でいく人物ではない。一行は舌をまいて引きあげた。

          ★

 翌日一行が訪れたのは天王教会である。彼らが面会を求めたのは、別天王、千列万郎、その妻ミツエ、世良田摩喜太郎、大野妙心の大幹部全員だった。強硬な撃退に会うものと覚悟をきめてその時の用意もしていたが、案に相違、奥の院の一室へ招ぜられ、世良田と妙心が現れて、礼も厚く茶菓のモテナシである。それも会ってみれば当然とうなずけることで、世良田は世にきこえた政治的手腕の持ち主、妙心は人心シュウラン術の大家弁舌の巧者である。何者であれ人をもてなすにソツのあろう両者ではない。
「別天王とその御子息夫妻は天地二神の化身、天王教の尊い神におわすから軽々に信徒ならぬ人々にお会わせするわけに参らぬ。特別の儀がなければ、我ら両名が代って返答いたすから、左様心得てほしい」
 と、柔和な話しぶりの中にも、鉄の筋金入りのような逞しい意志で、高圧的に押えてかかっている。強く争うのは無用であるから、新十郎はそれにこだわらず、
「英国に遊学中、世良田先生が巴里《パリ》に御逗留の由うけたまわり一度御高説を拝聴したいと思っておりましたが、お目通りの機を得ませんで甚だ不本意の思いを致しておりました。本日参上いたしましたのは余の儀ではございませんが、我々未熟者に御教育の厚志をもって、まげてヤミヨセの儀を拝見させていただけますまいか。と申しますのは、すでに当教会の信徒四名があたかも狼にノド笛をかみ殺されたかのような変死を致しておりますからで、ヤミヨセは霊力によって信徒が狼に食い殺される様を演ずると承りましたが、何者か悪者がいてヤミヨセの儀を悪用し、これに似せて人を殺している節があるからでございます。信徒ならぬ我々がまことにムリムタイなお願いとは重々心得ておりますが、これも国法を守る者の切ない義務。兇悪犯人をあげるために必死の努力をなす者の苦心をあわれんで、まげてお聞き届けを願いあげます」
 新十郎が赤誠をあらわしてこう頼みこむと、世良田はジッと考えていたが、
「なるほど。お前の職務にそれが必要とあれば、これも国のため、まげて別天王様にお願いしてあげてもよい。幸いヤミヨセは別天王様がその場に出御あそばすわけではなく、代り身として私一人が座に出ておればよろしいのだから、それ以上にムリなお願いをたのむことがなければ、お願いしてあげよう」
「それはもう、それ以上何も望みません」
「それでは別天王様にお願いしてくるから待っていなさい」
 奥へ去ったが、やがて現れて、
「大そうむつかしいことであったが、幸いお許しがでたよ。支度に少し時間がかかるが、ここで待ちなさい」
 と三十畳敷ぐらいの一室へ案内された。この部屋の板戸を堅くしめきり黒幕を下すと一筋の光ももれず、真の暗闇となってしまった。一同は命じられたように円陣をつくる。まもなく世良田が数名のミコや男女老幼雑多の信徒をひきつれてはいってきて、再びピッタリと外の光をさえぎってしまった。部屋をてらしているのは、ただ一本の大ロウソクである。彼は信徒をかえりみて、
「さア、お前方もそこに円陣をつくって坐すがよい。隠し神様が誰をイケニエにお選びになるか知れないが、散々イケニエを召し上って間もないのに、御大儀であろう」
 世良田は一人中央にすすんでピタリと坐った。シンと一座がしずまってしばし物音というものがない。やがていずこからか、ウォー、ウォー、という狼の遠吠のようなものがかすかにひびいてきた。と、ミコの姿が一様にグラグラゆれだす。ミコだけではない。信徒も一様にいつのまにかゆれだしている。サッとミコたちが跳ねるように立ち上った。すると隣室の方から奏楽が起った。それにつれて信徒がグラグラ上体をゆりながら唄いだす。ミコが世良田をめぐって踊り跳ねつつ走りまわる。全員狂乱の有様であるが、各自骨もロレツも失ってグニャ/\と勝手放題狂いたてているようでいて、何かしら大きなところでピタリと呼吸が合っているのである。
 潮がひくように奏楽が終った。すると狼の遠吠が次第に近づいてくるのがきこえた。それをきくと、信徒もミコもアッと恐怖の叫びをあげてバタバタと伏してしまった。狼がついに部屋に到着したらしく、ウォッという荒い叫びが部屋いっぱいにとどろいた。
 世良田はキッと身構えて、タイマツのような目をひらいて、
「快天王ノミコト。快天王ノミコト。夜叉払うのミコト。かしこみ。かしこみ。きこしめしたまえ」
 これを二度三度唱えて、口と目を同時にピタリと閉じる。するとどこかに小犬のワンワンなく声がして、次に小さな男の子の声で、
「風呂番はいないか。風呂番はいないか。風呂番はでてこい」
 声につれて信徒の列から一人の大男か亡者のように蒼ざめ、死刑の絶望のために半ば気を失いながら、脂汗をしたたらせて、よろめいて、いざりでてきた。見ると先の密偵、牛沼雷象である。これを見てガタガタふるえだしたのは泉山虎之介。必死にふるえを止めようとするが、止まらない。
 にわかに子供の声はおびえたって、
「こわいよう。ごめんよう。目をくりぬいちゃイヤ。舌をぬいちゃイヤ。焼火バシを目にさしこむのごめんよう。ア、ア、ア」
 なんという怖しい子供の断末魔の悲鳴であろう。地獄の責苦をうけているのであろうか。きく者はゾッと身の毛がよだつものすごさ。雷象がアッと気を失いかけると、
「ウォ、ウォッ」ととびかかる狼の声。ギャギャッとたまぎる雷象の悲鳴。大ロウソクの光がパッと消えてしまった。ミコが立ってサッと消してしまったのである。
 すべては闇の底に沈んだが、雷象の息絶え絶えの苦悶によって、目に見るよりもむごたらしい死の情景がありありと分った。雷象は血の海の中をころがりまわっていた。彼のノドはすでに食いとられ、今や腹を存分に食い荒されているのである。かすかな悲鳴を一つのこして雷象の息は絶えた。
 光がついた。雷象は死んでいた。どこにも傷もなかったが、まさしく、月田まち子がノド笛を食いとられ、腹をさかれて惨死したとちょうど同じ恰好で、息絶えていたのである。
 ミコが立って、彼の身体をさするうちに、彼は息を吹きかえした。ふと気がつくと、世良田の姿はすでにそこには見えなかった。

          ★

 虎之介は長い話を語り終った。話が長いところへ、今まで見聞のなかった特殊な事柄を語るのだから、一々メモと首ッぴきに長考連続、ついに半日語りつづけた。
 すでにしぼる血をしぼりつくした海舟、しかし寸分の油断もなく耳をすまして聞き終ったが、静かに熟考しばし、フッと我に返って、虎之介の顔をなでるように打ち眺め、
「実に意外な事件だなア。世良田摩喜太郎は小藩の出ながら稀代の逸材、よく薩長とレンラクして倒幕にはたらいた奇才であったが、そのころ二十一二の小僧だったそうな。薩長の生れならばつとに国家の柱石たる人物だとオレは睨んでいたが、生れが悪いと、根性もひがむ。今日ここに至ったのも、大藩の出でなかったことが、彼をして世にすねさせたのだろうよ。幸三と佐分利母子、この三名斬殺した者は、言うまでもなく世良田摩喜太郎さ。彼はいかに落ちぶれても、大本の心棒に於
前へ 次へ
全5ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング