だしたというが、奴めは、お槙が殺したに相違ないと考えているだろうよ。お槙は悪い女だ。警察の調べがとどいて、お槙があげられる、心細いの一念、可愛い憎いで、芳男と一しょに殺《や》りました、と云いかねない女なのさ。芳男が怖れて戸惑って逃げまわったのは、その心配があってのことだ。しかし、お槙は犯人じゃアないぜ。女が酔っ払って男を一刺しに突き殺せるわけがねえや。惚れて油断のある男でも、女の腕で一刺してえのはむつかしいものだ。まして藤兵衛はお槙に三行り半をつきつけたその日のことだもの、酔ったお槙に刺し殺される不覚があるわけのものじゃアないのさ」
 海舟は片手の指から悪血をとると、今度は別の片手の指をチョイときって、悪血をとりはじめた。
「新十郎が見ている通り、藤兵衛の隣室にこぼれていたという土が曲者なのさ。犯人は、お槙が三行り半をつきつけられ、芳男が叔父甥の縁をきって勘当されるてえこと知っていた男だ。それを知っていたのは加助のほかにはいない。あの男がと世間ではビックリするだろうが、真犯人はままこうしたものさ。加助はヒマをだされて藤兵衛を恨んでいる。実直者だけに恨みが深いのさ。五ヶ月の貧乏ぐらしで、根性もひがんでいる。帰参がかなったのは嬉しいが、元へ戻ったところがタカが番頭じゃア仕様がない。貧乏をしてみると、魔がさして、よけい上をのぞむようになりがちなものさ。藤兵衛を殺してしまえば、犯人と疑られるのは三行り半をつきつけられたお槙と勘当された芳男の両名にきまっている。帰参がかなってヤレ嬉しやという加助が、疑われるわけはねえのさ。藤兵衛から放逐されるときまった修作が、藤兵衛なきのち、居すわるかどうかは分らないが、居すわるにしても、修作一人が番頭じゃア店のタバネができないから、世間に人望のある加助がむかえられて大番頭の地位につくのは火をみるよりも明かだ。アヤは胸に病いがあるから遠からず死ぬだろうし、川木の屋台骨は自然にそっくり加助のものになってしまう。世間に人望があるから、加助が主家をわが物顔にきりまわしても、誰も何とも云わねえのさ。加助はそこまで見ているぜ」
 海舟はナイフと砥石をしまいこんだ。
「加助はいったん主家を辞去すると、裏から塀をのりこえて、土蔵へ忍びこんだのさ。たぶんお槙と芳男の叱られている最中に忍びこんで隣室に隠れていたのだろうが、お槙と芳男が三行り半と勘当を云いわたさ
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