罪にござります」
 人形町の「川木」という小間物屋で、主人の藤兵衛が土蔵の二階の部屋で殺されていたが、発見されたときは部屋の戸に内側のカケガネがかかっていたという。そのころの新聞記事というものは、三面記事の報道に正確を期するような考えはない。面白おかしく尾ヒレをつけ興にまかせて書きあげた文章であるから「上等別嬪、風流才子、、美男番頭、いずれ劣らぬ達者なシレ者、馬脚を露わすそも誰人か」と結んであるのがその記事である。上等別嬪というのは藤兵衛の妾、お槙《まき》のこと。こんな記事を読んだところで、犯人の見当をつける手掛りにならないばかりか、とんだ嘘を教えこまれるばかりである。
「藤兵衛は土蔵にくらしていたのかえ」
「土蔵の二階半分を仕切りまして、居間にいたしておりました。一代で産をきずき、土蔵もちになったのを何よりに思っておりましたそうで、常住土蔵に坐臥して満足を味っていたのだそうでございます」
「妻子も土蔵の中にいるかえ」
「いいえ、藤兵衛一人でございます。至って殺風景な部屋で、なんの部屋飾りもなく、年々の大福帳と、大倉式の古風な金庫が一つあるだけでございます」
「ハバカリは、どうしていたえ?」
「さ。それは聞いておりません」
「そんなことも一度はしらべておくものさ。罪の根は深いものだ。日常のくらし、癖、それをようく知ってみると、謎の骨子がハッキリとしやすいものさ。それでは、お前が見てきたことを、語ってごらんな。後先をとりちがえずに、落附いて、やるがいいぜ」
「ハ。ありがたき幸せにござります」
 虎之介は思わずニッコリと勇み立って、一膝のりだして語りはじめた。

          ★

 藤兵衛は横山町の「花忠」という老舗で丁稚から叩きあげた番頭であったが、主家に重なる不幸があって、主人はわが家に火をつけて、火中にとびこんで死んでしまった。それが寛永寺の戦争の年だ。主家は没落したが、白鼠の藤兵衛は、自分だけは永年よろしくやっていたから、少からぬ貯えができている。年も、三十。独立して踏みだすには盛りの年齢であった。
 人形町の今の場所に空き店があったから、それを買って、開店した。没落した主家の顧客を誰に遠慮なく受けつぐことができたし、自ら足を棒にして、新しい顧客を開拓した。商売は盛運におもむいて、店を立派に新築し、地つづきの裏店を買いとって、離れと、大きな土蔵をつくった
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