とだ。別に死の前のどうこういう様子に見えたわけじゃアない」
「しかし、しやがみながら、胸をかきむしったなア。こう、何か胸にだきしめるような様子だった」
「胸に? 腹じゃアないのですか」
「イヤ。つまり、何かだくような様子です。だくといったって、ハダカだから、だいてるわけじゃアないなア。つまり、胸をこう、こすったのかな。私はハッキリ見ました。つまり、あれは死の苦しみというのかなア」
彼らの目撃していたことは、それだけであった。
新十郎は楽士を帰して、女中、下男、書生ら、二十数名をよびあつめた。そして、何か変ったことに気附かなかったかと尋ねたが、お絹という若い女中が、おそく戻ってきた五兵衛の謎のような呟きを記憶していたほかに変異を見ている者はいない。
お絹は顔をあからめながら、
「ハッキリ覚えてはおりませんが、幽霊にだまされた、……」
お絹は自分の言葉に笑いだして、
「ですが、ほんとに、そう仰有《おっしゃ》ったのです。そして、まさか、アレが生きてやすまい、なんて仰有ったようです」
「戻られたのは、何時ごろですか」
「会場の皆様が大分おあつまりになって後のことでした。いそいで御飯を三膳、お茶づけで召しあがって――お急ぎのときは、いつもそんなです。一二分で、かッこむように召しあがるのです。そして雲助に扮装あそばしてお出になる、三十分もたつかたたぬに、あの御有様でした」
新十郎は車夫をよんだ。
「御主人はおそく戻られたそうだが、どこへお連れしたのだえ?」
「烏森の夕月でした。何御用かは存じ上げません。ただ、お帰りのときに、まさか人のイタズラとは思われないが、生きているなら、どうして来ないのだろう。来ないワケはないがなア、と仰有っていました。夕月の女将に、誰それが見えたら、使いをよこすように、と仰有ってたようです」
訊問をうちきって、一行が帰りかけると、広間の階段の陰から現れた花のような娘があった。娘はツカツカと一行の前へすすみでて大胆に新十郎を見つめて、
「あなたが、大探偵?」
新十郎はまぶしそうに笑った。
「犯人は分りましたか?」
娘はたたみこんだ。
「残念ながら、手のつけようがありません」
新十郎が神妙に答えると、娘の目はもえるように閃いた。
「私、気絶していましたから、お父さまの死になさるのを見ておりませんが、虚無僧姿の田所様が介抱なさったそうですね」
前へ
次へ
全25ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング