んでいる。彼の肩をはずれた山カゴが、彼の死体の一部であるかのように、横にころがっていた。
新十郎は死体をしらべた。五兵衛の脾腹《ひばら》に突きささっている一本の小柄《こづか》。手裏剣に用いるものだ。刃の根元まで突きこんでいるが出血は少い。
虎之介は小柄の方角を目で追って、
「捩じまがって倒れたのでないとすると、ちょうど楽隊席の方角だなア」
「なんの方角だえ?」
と花廼屋が虎之介の心眼に挑戦するが、虎之介はこんな小者は歯牙にもかけない様子。
「犯人が手裏剣をうった方角だ。田舎通人には分るまいが、犯人は人々の注意がお梨江嬢に向けられている瞬間をとらえて、手裏剣をうちおったのさ。だから総監も犯人の姿を見ておられん。総監が気づいた時には、被害者は脾腹をおさえて、前へ泳いでいたのさ」
花廼屋はうれしそうに笑った。
「お主、剣術使いだが、真剣勝負をしらないなア。幕府には新撰組という人殺しの組合があったが、お主はそれほどの人物ではなかったようだ」
「真剣勝負とは、何のことだ」
「手裏剣が柄の根元までブスリ突き刺すものか、ということさ。人の腹はやわらかいが、豆腐にくらべてはチトかたいなア」
虎之介は目を怒らして田舎通人を睨みつけたが、小者を相手にしていられない。腕をくんで、曰くありげに、死体の方へ目をこらした。手裏剣の刺す力。なるほど虎之介はそれを知らない。しかし、誰だって知らないだろう。人間の脾腹ぐらい、打ちようによっては刀身いっぱい刺すかも知れないのである。田舎通人の愚論ごときは物の数ではない。
脾腹へうちこまれた小柄のほかには、どこにも傷がなかった。どこからともなく飛び来った小柄一本が瞬時に命を奪っている。五兵衛はカッと目をあけ、口もあけて、何かいいたげに、四つん這いに倒れて死んだのだ。横ッとびに飛んで抱いた田所金次も、五兵衛の言葉をきかなかった。
新十郎は総監に何かたのんだ。星玄坊主はいかめしくうちうなずいて、雲助の直立不動、胴間声で叫んだ。
「満堂の淑女ならびに紳士諸君。加納五兵衛殿の死の瞬間、すなわち、不肖が叫び声をあげた時に於ける皆様方の位置へ各々お立ちを願います」
国威を失墜しないように熱心に言葉をギンミしている。
そこで一同、めいめいその時の位置へ立ったのを見ると、国家の秘事に関係をもつ人々、両大使、善鬼総理、典六、みんな壁際にいて五兵衛の倒れた
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